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Factorization!

久しぶりにScratch作品紹介.
素因数分解をビジュアルに表現するってのがその筋の人たちのちょっとしたブームになったことがあった.
始まりはここかな↓
mathlesstraveled.com
JavaScriptでアニメーションしてるのが例えば↓
Animated Factorization Diagrams – Data Pointed

で,そういう感じのが作りたくなってScratchで作った↓
このgifアニメーションでは300までだけど,実際にはいくらでも進む.
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普通の素因数分解とはちょっと変えて2ベキは4ベキ部分と2に分けておくほうがビジュアル的には面白くなる.

そしてScratch本体はこちら↓(多分実行画面にはならないけど)

算数で起こった天下三分の計ーその後

「0は3の倍数か」で天下三分の計が起こったことを前回報告した.
tokidoki.hatenablog.jp

今回はその後ちょっと調べてみたら,あの結果は妥当なものなんだろうなぁ,という結論に至ったので追記.
そもそも算数の教科書ではどう書いてあるのだろうか,とちょいと調べてみた.
例えば啓林館ではこんなふうだった.
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何と,そうだったのか!
そうであれば「どちらとも言えない」が4割だったのも頷ける.
教科書では「0は倍数に含めない『ことにする』」としているから,それを覚えていたなら3の倍数ではないと積極的に言うだろうし,しかし後の教育を受けた中での考え方を思い出せば0=0\times 3なのだから0はやはり3の倍数だとも言うだろう.
そしてどちらの立場も認めるなら「どちらでもない」ということになる(むしろ「どちらでもある」).
じゃぁ,偶数奇数はどうしているのか,と調べると例えば同じく啓林館ではこんな書きぶりだった.
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おやおや,こちらでは確かに0が偶数となっている.
つまり,2で割った余りで自然数(小学校では整数と言っている)を分類するという立場だ.
さて,そうするとだ.ここまでをまとめるとこうなる.
「0は2で割り切れるから偶数と呼ぶけど,0は倍数とは呼ばないことにしたので0は2の倍数ではない.」

おや,まぁ!
何ということだろうと思い,学習指導要領解説を引っ張り出してみると,確かにそのようになっている.
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「(このとき0は倍数に含めていない)」

昔の自分だったら,世間でよく騒がれているのに同調して「間違ったことを教えている!」と言って憤慨したことだろう.
けれども「どのように子どもたちが混乱するのか」という情報が蓄えられるに連れ,そう安易に物が言えるものでもないことが分かってきた.
数学的に間違っている,いや美しくはない定義であったとしても,こういった配慮は教育的には,あるいは子供の認知心理学的には妥当らしい,ということだ.
「倍数」というときの気持ちは何かの「整数倍」を意味している.しかも通常は「1以上の整数」となるのが自然な言葉遣いだろう.
もしかすると「1倍」ですら一拍おいて考える人もいるだろう.
つまりそういった風景においては「倍数」は元の数以上の大きさになるものということになる.
そんな風景の中で「0も倍数である」と叫ばれれば,子供の心に大きな混乱が起こるかもしれない.
まだ「何倍」という見方が定着する前の子供ならなおさらの事だろう.
「-2倍」とか「0.5倍」といった言い方が通り始めるのは,ピアジェ風に言えば形式操作期に入ってから,ということだ.
「整数倍」という言い方を「正の数倍」に,そして「実数倍」へと拡げていってやっと「0倍」も心象風景に入ってくる.
(もちろん小学校でも0は整数としているから,もっと早くに「0倍」も認知されるのかもしれないが.)
もっとも,そんな事言わずとも個数比較における「倍」の考え方を量に適用し始める,つまり「比」と捉え始めれば自然に拡張されていくだろう.
「2倍ほどじゃないけど元よりは大きい.一つと半分ぐらい大きい.」
そう言うとき,それは「1.5倍」という言い回しの始まりだろう.

,問題はここから.
学問的定義では正しいことを教育的配慮によって間違いとされたときにSNS上で話題となる.
それはしばしば安易な算数教育バッシングに発展する.
「バツにされる」というのは,やはり誰にとっても不快なものだろうし,それが理不尽に思える理由であったならなおさらだ.
こうした周期的に発生する不毛なゴタゴタに対して,2つのことを提案したい.

  1. 「教育的配慮」によって学問的定義と異なる「きまり」を指導要領解説に載せるのであれば,それがどのような発達心理学的な考慮をしたものであるのか,という理由を同時に明記してはどうだろうか.括弧書きで(このとき0は倍数に含めていない)などと逃げるのではなく,真正面からその理由を明記しよう,ということだ.そしてできればその「心理学的影響がある」ことを示す研究報告への参照があると良い.
  2. 一方で,バツを付ける側の教員には「それは小学校教育でのローカルルールですので」と開き直るのではなく,バツを付けるに至る発達心理学的根拠をきちんと把握し,必要に応じてそれが説明できるようであって欲しい.同時にもちろん,学問的定義ではどのようであるのか知っていなければならない.というのも,やはり同輩の先を行く子供はいるわけで,「0も倍数に含めたほうが美しい」と実際に思っているかもしれないからだ.2歳のときには負の数の概念も分かっていた,というポール・エルデシュのような人もいるからね.

まぁ,とすると今眼の前にいる学生たちに他ならぬ我々教員がこういった教育的配慮の根拠を常々語っていなければならないはずだけどね.数学者はしかし結構知らないんだなぁ,こういったこと(自分も含めて).

いずれにしても,「理屈では合っているのに理不尽にバツを付けられた」と子供が感じ続けているのならば,それは速やかに取り除かれねばならない感覚だ.
それを放っておけば一斉教育の被害者を一人増やすことになるから.

今回,図らずもとったアンケートから面白いことが浮かび上がってきたので,書き留めてみた.
けれどこの話に拘るその根源には有名な「掛け算の順序問題」がずっと心に引っかかっているからだった.(つづく...かもしれない)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

算数で起こった天下三分の計

今年度から久しぶり,そう実にこの大学で非常勤をやっていた時代からして15年以上ぶりの「算数科研究」を担当することになった.
何しろ久しぶりであるし,久しぶりの他学科相手であるし,当時に比べて一クラス60名と大人数になって少々ビビりながら始めた講義だ.
3回目では「0を称える」と称して0の役割について議論してもらう内容とした.
後半は0の代数的性質を小学生にきちんと説明できるか,を意図した問を立てたのだが,それに先立ち0についてのアンケートを取ってみた.

一問目:「0は偶数ですか,奇数ですか」を「偶数」「奇数」「どちらでもない」で答える.
結果は↓
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如何でしょう!
そういえば理科教育に発生する誤概念を利用したアクティブラーニングを提案する試みがなされているし,それに関するFDも開かれたりしていたのだけど,こうしてみると数学でもそれに類する「一般人の信仰」があるのだな,と改めて気付かされた.
(いやいや,教育学部の学生なのだからそんな悠長なことを言っている場合ではないのだけど.)
tokidoki.hatenablog.jp
さて,上記グラフの学生らの気持ちを考えてみた.
少数派の(そう,少数派!)「偶数である」はきちんと理由を言える学生もいれば,なんとなく偶数,あるいはそう聞いている,という学生も結構いるのではと思う.

では,多数派の「どちらでもない」はどうだろう.
想像するに「倍数」とは常に元の数より大きくなると思っているからではないだろうか.
普通の人は「□倍する」は通常,自然数に対し自然数倍することをまず想像するだろう.
その意味で0は自然数の2倍として見つからず,あるいは0は2で割れるか?という気持ち的にちょっと触りたくない問いを考えることになるから,そして何より「偶数」「奇数」とは自然数に対して使われる言葉だ,と思っているからではないだろうか.
実際,偶数奇数の議論は中学校で負の数を学んでも,負の数に対する偶奇はほとんど問われる機会は無いように思う.
それはもしかすると,実質的に学習単元の縦割りでのみ授業が行われ,他の単元との有機的なつながりが中学校の段階ですら希薄にならざるを得ない状況にあるからかもしれない.

そして「奇数」と答えた気持ちは,もしかすると数直線を思い浮かべたからなのかもしれない.つまり0は数直線の「真ん中」にあるイメージで,それを挟んで整数が \pm k といった形でならんでいるが,0だけはペアがいない.その半端感が「奇数」と言わしめたのかもしれない.


そうそう,ちょっとだけ脱線するけど,この「偶数・奇数」問題について実際のアメリカの小学校の授業で行われた,非常に興味深い,そしてなにより小学生自身が自らの頭をフルに使って数学をしている非常に美しい姿を記述した資料を何年か前に発見したので再度紹介.
Kyoto University Research Information Repository: 数学と教育の協同 : ハイマン・バスの挑戦 (数学教師に必要な数学能力形成に関する研究)
これ,結構学生に見せたのだけど何とも反応が無いのが悲しい.
これこそが数学をしている,あるいは数学を創造している,まさにその姿なのだけどねぇ...

さて戻ろう.次の質問は「0は3の倍数ですか」だ.
ここまで読まれた方は,次にどんなグラフになったかちょっと想像してみてください.
IMAGINE

Imagine - John Lennon and The Plastic Ono Band (with the Flux Fiddlers)

はい,結果↓
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天下三分の計が起こったよ.魏・呉・蜀です.
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またしても魏の「どちらでもない」が優勢で,おそらく偶数のときと同じ自然数バイアスが働いているのだと思う.
で,なぜ「はい」の蜀と「いいえ」の呉が拮抗しているのか.
「偶数である」と答えた蜀の兵士の一部が,「ホントに3の倍数?」と問い詰められて呉に寝返ったのだ.
もしかすると「3の倍数」という言葉が奇数っぽさを引き寄せたのかもしれない.
そうすると「4の倍数ですか」と聞いたらどうなっただろう.
偶数に引きずられて再び「はい」が増えるのだろうか.

アンケートを考えた当初は次の質問「すべての数の倍数となる数はあるか?」でやっと困るのだろうと思っていたのだけど,それに至る前に驚きの結果が見られたのは収穫だった.
で,全ての数の倍数についての結果↓
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今度も予想外で,きっと「そんなもんは無い」と多くが選ぶと思ったのに結果は少数派.
もちろん,なぜそう思ったのかをその後自由記述で答えてもらったのだけど,比較的「何となく」が多く,中には\inftyという納得できそうな答えがちらほら.
それより,わざわざそんなことを聞くのだから「あるのだろう」と思って選んだ,という回答が多かった.
まぁ,そりゃそうだ.

うん,面白い!
(面白がっている場合じゃないのだけど.)

活用の幅が広がります

ちょっと前に,Microsoft 心せま~いって叫んだとこだったけど,
tokidoki.hatenablog.jp
今度は,心ひろ~いって叫びそうなのがこれ↓
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いや,迷惑メールかと思って消そうとふと見たら,

現在の Office Solo サブスクリションでは、1 台の PC または Mac と 1 台のタブレットで Office をお使いいただけます。2018 年 10 月 2 日からは、お持ちのデバイスすべてにインストールして、同時に 5 台までサインインできるようになります。つまり、どこにいても、どのデバイスを使っていても、Office をご利用いただけるということです。

だって!
これで仕事場のおニュウのマシーンを始めとして,手持ちマシーン全てでOffice 365が扱えるようになるって寸法だ.

ま,こんな美味しい話,本当だろうか,ぬか喜びさせる迷惑メールかもしれないとも思い(誰得?),念のためネットであれこれ確認するとやはり本当らしい.
う~ん,Microsoft太っ腹~!