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ふらっと行ってきた,山本富章|斑粒・ドット・拍動@豊田市美術館

そういえば先週,新装開館した豊田市美術館へ挨拶代わりに見に行った,
山本富章|斑粒・ドット・拍動 展.
この美術館,建物がカッコイイので気に入っている.
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階段昇って,
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ドーン.
山本富章/Festival on the Stage.
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山本富章/In the Forest.
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山本富章/bugs.
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もう一つの企画展,絵画凸凹 展から.
イミ・クネーベル/企画I B1-B4.
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これも確か同作者による作品.前から見てるとただの合板に見えるが,
横から見ると蛍光色に塗られた板が重なっているのが分かる.
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李 禹煥/刻みより.
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部屋自体が良い雰囲気だったので遠景も.
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北山善男/ タイトル忘れた.
ちょいと調べたら,愛知県美術館の最上階までの吹き抜けにぶら下がっている網目状のオブジェの作者だった.
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ブリンキー・パレルモ/無題.
これも部屋の雰囲気が良かったので遠景にて.
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彦坂尚嘉/ タイトル忘れた.
ちょいと調べたらむしろ無彩色の作品の方が珍しいらしい.
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作者 / タイトル 共に忘れた.
昭和時代の衣服を入れる金属製の箱のようなものから,金属の曲線が出ていた.
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で企画展を後にして,
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外に出てみよう.
ダニエル・ビュレン/色の浮遊|3つの破裂した小屋.
これは改修前からあった作品で,晴れた空に合う.
前回の愛知トリエンナーレで初めて見た作品.
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で,その作品の外には広い水辺.
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更に奥に進む.
高橋節郎館の入り口のオブジェ.
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そして振り返った景色.
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漆芸家・高橋節郎氏の作品は古典的な漆芸術ではなく,モチーフは至って現代的.
やや照明を落とした落ち着いた館内に,まさに漆黒と金銀の美しい世界が広がっている.

その他,豊田市美術館コレクションの常設展もあって,
グスタフ・クリムト,エゴン・シーレ,ジョアン・ミロ,マックス・エルンスト,
フランシス・ベーコン,サルバドール・ダリといった20世紀絵画の代表が一堂に会していた.
今回,イブ・タンギーの作品を初めて生で見られたのが収穫.素晴らしい.

さて,帰ろう.
ソル・ルウィット/柱のある立方体.
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そして,まだ桜が咲いていた.
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いずれもSONY ILCE-6000+Vario-Tessar T* E16-70mm F4 ZA OSS,
Lightroomにて現像

Never Let Me Go - 人間の非人間性

そこから取るものを取って仕事を終えた「解体者」たちは,
言葉もなくさっさと立ち去る.
内臓をすべて取りつくされ,開腹されたまま手術台の上に放置された,
かつてルースと呼ばれた体.
その体を覆う真っ白な滅菌ドレープからは二筋の赤い雫が音もなく床へと流れ落ちる.

心停止を告げるピーという無機質な音以外,何もない.

前期入試採点が終わり,出版社への原稿も書き終えて,
ちょっと前に買っておいた映画"Never Let Me Go"を観た.
もちろん今シーズンのドラマの影響だ.

その映画中の何とも切なくかつ後味の悪く,そして鮮烈な印象を残したシーンを
自分なりに文章にしてみたのが冒頭のものだ.

わたしを離さないで [DVD]

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www.tbs.co.jp

作者 Kazuo Ishiguro の意図は敢えて問わないで自由に考えてみる.

二筋の赤い雫は涙,全身で,全身が泣いているのだ.
そして,無機質な機械音は終了を意味すると同時に,
もっと生きていたかった,という悲痛な訴えにも聞こえる.

一体どんな理屈で人間はクローンから臓器を摘出できるのだろう?
生物学的には人間と全く同じであるクローンの命を二の次にできるのはなぜ?
映画中ではクローンの彼ら目線で進むから,
彼らをモノとして扱う外の人間,つまり普通の人間たちの方こそ非人間的に見える.

そもそも我々人類は元来他の生物を都合の良いように利用して生き延びてきた.
食べるための家畜・養殖や医学薬学の為の動物実験.
これらはしかしかろうじて我々と同一種族でない,
いわゆる「しゃべらない」生き物だからこそ彼らを利用することに抵抗が少ないのだろう.
けれどもこれが生物学的には人間であるクローンとなると,
本当は悩むはずのことだ.それを映画ではクリアしてしまっている.
「クローンだから,コピーだから」か.

こうした「造られた者」たちの哀しみは度々作品になってきた.
「ブレードランナー」はその代表作だろう.

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

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しかし振り返ると我々人類は,人間同士であっても同じような「利用」を行ってきた.
異民族間や異人種間の奴隷制度はまさに人間をモノとして利用する行為だった.
そしてこれは世界中のあらゆる場所,時代で行われてきた.
そう考えると,案外人間が人間らしくある状態というのは難しいことなのかもしれない.
人はいとも簡単に非人間的に成れる.
それはあの「夜と霧」にある,おぞましいアウシュビッツの記述を読めばよく分かろう.

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

生き残るためには,生き延びるためには,人は,あなたも私も,
簡単に人間を止め得る,そんな生き物なのだということを忘れちゃいけない.

それにしてもなぁ.クローン制度を受け入れたあの社会は,
代わりに「人間性」を放棄したということなんだろうか.
「いや,それでもまだ放棄していない」
寄宿学校ヘールシャムでの美術偏重の指導は,
あるいはそういった社会制度への細やかな抵抗だったのかもしれない.
地獄絵さながらのアウシュビッツで,なお人間的であろうとした
数少ない名も無き人たちのように.

人が強制収容所の人間から一切をとり得るかもしれない,しかしたった一つのもの,
すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由,
を奪い去ることはできない.
夜と霧/V.E.フランクル

Never Let Me Go

Never Let Me Go

暫しの休息

先週は幾つかイベントが続いた.
まず,自分が顧問しているマジックサークル"Shuffle"の訪問.
aue-magicshuffle.jimdo.com

カードマジックのほかに今回はメンタルで攻めてくるマジックを見せてもらった.
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まぁ,やられっぱなしでは色々悔しいので,こちらからも数学マジックを紹介.
今年度のオープンキャンパスネタだ.ものすごく真剣に考えるマジシャンたち↓
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さて,数学サークルSigma同様,新入部員が少なく,新年度に賭けよう,ということだそうだ.

それから週末,以前から企画予定だったタコパ.
「と・あ・る・事・情」でホールケーキでお祝いという流れに.
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最後はここ数年恒例となっている5代目とのスキーツァー.
何しろこちらもかなりな運動不足,無理の無いように滑ってきた.
まぁ,そろそろ皆が皆集まるのが難しい年代になってきたとも言える.
様々なことが重なって今回は4人ツァーとなった.
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@ダイナランド+高鷲スノーパーク

となりの人びと(現代美術 in 春日井)

いよいよ今年,3年ごとにやってくる「あいちトリエンナーレ」の年.
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その前哨戦となるイベントが
ちょこちょこ行われているが,
丁度春日井で小規模の展覧会が
行われているので行ってみた.

何しろ現代アート物は
写真撮影OKなものが多く,
そういった被写体探しという意味でも
楽しみだったりする.


aichi-art.com

あいにくパンフレットに全ての作品が載っていないため,
後から写真を見返してもどなたの作品だったか分からない物もあるが,とりあえず報告.

会場に入るとまずは「空気」の作品.
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竹田尚史 ― 空気になる私

同氏の作品はまた展示室内にもあった.
古い時代の自然科学全体を研究しているといった体裁の部屋が作られていて,
その研究の辿り着いた先が「空気」作品として結実した,ということだろうか.
何か宮沢賢治を彷彿とさせる.
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渡邊千夏 ― BIG MIRROR BOOK II
写真では分かり辛いが,実際に前で見ると元の描かれた虹と反射した虹とが
空間的に絡み合っているように見えて,面白い錯覚を引き起こす.
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今井俊介氏の作品.タイトルは憶えていない.
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ゴメンナサイ,作者も憶えてないのだけど,真っ白に塗られた哲学的な作品.
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田中翔貴 ― Portrait of zinc
時間と記憶に関わる作品.写真と絵画の間.良い味が出ていた.大きな作品.
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杉浦光 ― All Blue-expansion- II
作品は3つあったが,一番綺麗に思えたものを撮影.
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設楽陸氏の一群の作品.ゲーム的世界観の芸術的昇華,ということだろうか.
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その他,作者を憶えてない作品.ホント,申し訳ない.
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そしてトリエンナーレの特徴である街中アートへ.
使われなくなった建物にアート作品を展示するというやつだ.
まず,丸十ビルへ.普通のビルなので,うっかりすると通り過ぎるし,
別のフロアーでは通常の業務を行っているような状況で,
本当にアート作品があるのか,間違った所に来てしまったのでは,
と,やや怯えながら階段を上がった.
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大崎のぶゆき氏のインスタレーション.
真っ黒な部屋に街角落書きの寄せ集めのような模様が
真っ白なペンキで次第に変化していく映像が流れる.
そして無音.おそらく暖房設備が出す環境音だけがその部屋に響く.
そう,こういった静かな時間が流れる作品が好きだ.
そして何よりインスタレーションは空間そのものを異化してくれるから,
その間だけ小さな旅ができる.その感覚がとても心地良い.
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その隣の本屋でも展示があるそうなんだが,何と日曜定休なんだそうで,残念.
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で,何より驚いたのが最後の場所,「蔵」.
こんな建物がまだ春日井市のど真ん中にあるなんて知らなかった.
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で,作品本体はこの扉の下に空いた穴から聞こえる,音のインスタレーションだ.
村田仁 ― カエルの国会,人の町
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その扉の傍らに,またその存在だけでアートになってる古びた金庫が置いてあった.
これも作品の一部,なのだろうか.
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以上,報告終わり.帰り道,アートモードになった頭で歩いていると,
自然にできたアートが目に留まったので撮影.
標識なんかを立てるための穴だっただろう所が土で埋まり,
そこに植物が生えていた.
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いずれもILCE-6000+Sony E 35mm f1.8, Lightroomにて現像

う~ん,8月11日開始のあいちトリエンナーレ,楽しみだ!
新年度から2年間のおも~い仕事が降ってくるのだけど,これだけは譲れない.
あいちトリエンナーレ2016

「することができる(be able to)」病

卒論発表会の為の練習会,お疲れ様です(というローカルな話題).
で,その練習会で今年もやはりな現象.

数年前に気付き始めたら,あらゆる所で気になって仕方ないこと.
日本全国老若男女の「することができる」病.
この形式ばった言い回しは英語でいうところのbe able toだろうか.
特に「可能」が重なって使われる場面で,この「することができる」を連チャンで言われると,
「日本に来て何年目ですか?」と言いたくもなる.
標準語を喋っているであろうNHKアナウンサーですら「することができる」の山だ.
例えばこんな感じ.

「この装置にはカメラを搭載することができますので,
位置を確認することができ,安全に操作することができます.」

日本語が少し分かる外国人にも通用しやすいように
意図的にこういった言い回しを使用する方針にしたのかもしれない,
などと一時期勘ぐってあれこれネットで調べてみたものの,
それらしいソースは現れない.
子どもの頃の報道はそんな喋り方じゃなかったよな,
もっと滑らかな日本語をアナウンサーは喋っていたよな,
そうだったよね?と両親に訴えても「さぁ?」といった反応.
あれあれ.
自分より古い人たち,違和感持ってないってこと?
確かにテレビでインタビューされている市井のご老人も「することができる」を多用している.
ネットで誰か彼かは騒いでるだろうと折に触れ検索するものの,見当たらない*1
そしてまわりの誰もオカシイと言わない.
えっと...自分だけ?

こうなってくると自分の方がオカシイのかもしれないと自信が無くなってくる.
いや,もしかすると「1Q84」のように,
いつの間にか並行世界に入り込んでしまったのかもしれない.
実は満月の陰にうっすらと苔むしたのもう一つの月があるんじゃないか,
と本当に探してしまった.

1Q84 1-3巻セット

1Q84 1-3巻セット

ちょっと振り返ってみると,まだ昭和だったころ「日本語の乱れ」というお題目で
「ら抜き言葉」が取り沙汰された時代があった.
「見れる」「食べれる」変だろう?いや,変じゃない.
そういった古い世代と若い世代の小さな対立もあって,
そして「れる・られる」が可能のほかに受け身,尊敬,自発もあるためややこしく,
その上そんな風に叩かれるのなら可能の意味では「れる・られる」は使わず,
「することができる」にしてしまえ,となったのかもしれない.
確かに何でもかんでも「することができる」で可能が表せる,おっと,表される.
そして日本語に不慣れな人たち(日本人を含め)に通じやすい表現となったのかもしれない.

学生にチラッと聞いてみたら,
「することができる」の方が丁寧に感じる,とのこと.
なるほど,普段使いでない格式ばった言い方だから距離があって,
だから「丁寧」と感じるのだろうか.

でもなぁ.
「理解することができないので話すことができません.」
とか言われると,この日本人,やはり日本に来て日が浅いんだろうなぁ,と思ってしまう.
「理解できませんので話せません.」
じゃだめなんだろうか.

そういえば子どもの頃,強烈に違和感を覚えたナレーションがテレビアニメにあった.
次回予告の最後にいつもこのフレーズが流れ,次週への期待感を煽る.
明らかに意図して強調されたゴツゴツした言い回しにしたのだろう,と子供心に感じたものだ.
それがこれ↓

「君は、
生き延びる事が出来るか」

機動戦士ガンダム I [DVD]

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ああ,果たして僕は,この先こんな国で生き延びる事が出来るだろうか
いや,本当に何らかの並行世界に紛れ込んでいて,それに気付いてしまったのだとしたら,
僕は闇の組織にこの文章公開後に消されているかもうわぁおまいら,何をすくぁwせdrftgyふじこlp

*1:同様な違和感を訴える人がかろうじて居ました.こちらでは,中学英語の直訳の習慣が残ったのだろう,と分析しています.しかしそんなことがNHKにまで影響するだろうか. torokko.sblo.jp