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残念な国(8-a)―「良い子」の国,ニッポン!

ここ数年,ずっと懸念している政府与党による改憲への水面下の動き.
きっと気付いたら国民全員が賛同しているという流れにされてしまうのだろう.
皇国史観に基づく日本会議という実質的にこの国を動かしている大組織は,
丁度戦前でいうところの大政翼賛会さながらの働きをするのだろう.
現に手始めとして国民の目の前で憲法解釈の変更を一内閣内で行ってしまったのは記憶に新しい.
安保法案の中身がどうのこうの,ということではない.
重要なのは,権力者(政府)が権威者(国民)の眼前で憲法による権力制限の枠組みを巧みに逸脱してみせた,
その前例を作ったということ,その一点だ.
この国は立憲主義ではないことを明確な形で内外に発信した,ということだ.
(もちろん,自国を自力で守る仕組みがない稀有な国だという見られ方をされているなら,
 海外からは今回の一件は特別なことには見えないのかもしれないが.)

昨年の事件以来,改憲への国民の注目度は高くなっただろう.
(というのも,元来ノンポリな自分ですら危惧するようになったのだから.)
そして,自民党内で議論されてきた自民党憲法改正案にも当然注目が行くこととなる.
読んだことのない人は是非,前文だけでも見て欲しい.
自民党憲法改正案
# 正確には「日本会議草案」と呼ぶのが相応しいだろう.

自分は一読したとき,息苦しさと腹立たしさを感じざるを得なかった.
そしてどう言ったらいいのだろう,丁度夏休みの宿題で読書感想文を書かねばならず,
しかし書けないものだから,他人がかつて書いて優秀賞をもらったその作品の読書感想文を手本に,
それを参考にしたとを分からないようにするために省略したり,
オリジナリティーを無理に出そうとしたり,という稚拙さを感じる.
何より憲法とは人類の英知の歴史を刻み込んだものである,という深い認識や,
人類共通の普遍的な目標への敬意や畏れも「省略」によって削がれてしまった.
国としてではなく,人類として最も大切にすべき視点をこの改憲案は明らかに欠いている.
いや,むしろ皇国史観に基づくなら自然とこういう書きぶりになるのだろう.

さて,この草案によればまず,日本国民たるものは「良い子」でなくてはならないらしい.

日本国民は,国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り,基本的人権を尊重するとともに,
和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する.

我々は,自由と規律を重んじ,美しい国土と自然環境を守りつつ,
教育や科学技術を振興し,活力ある経済活動を通じて国を成長させる.

(自民党憲法改正案・前文より)

つまり,新しい憲法はクラス児童が従うべき学級目標なのだね.
そしてこの目標に従わない児童は,この目標の名のもとに叱られるわけだ.
そしてこのような国民への罰則規定を無数に生み出す書きぶりは,草案の至る所に見られる.
実際,草案第102条1項には「憲法尊重擁護義務」が掲げられた.あ~ぁ.

第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は,この憲法を尊重しなければならない.
2 国会議員,国務大臣,裁判官その他の公務員は,この憲法を擁護する義務を負う.
(自民党憲法改正案より)

因みに現行憲法ではどうか.対応する箇所は第99条だ.

第99条
天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ.
(日本国憲法)

現行憲法には国民への遵守義務が書かれていないのに対し,
自民党草案では権力機関よりも先の項目として国民の憲法順守義務が書かれている.
この時点で,自民党,いや日本会議が作っているモノは憲法ではないことが分かる.
先に述べたように,立憲主義に基づく憲法とは国家権力を制限するものなのだから,
自民党草案のベクトルは真逆だ.もう一度書こう.
現行憲法は国民が遵守するものとしてあるのではなく,権力者たる国が遵守するものだ.
更には権力者が侵してはならない我々主権者の権利を明確に規定するものだ.
これこそが憲法というものがあらゆる法律の前に存在する理由だったはずだ.
権力者である国がその力を制限する憲法に従う,という約束があって初めて,
主権者である我々国民は国が定める法律に従うことにしているのだから.

おやおや,更によく見ると待てよ.現行憲法には入っていた「天皇又は摂政」が
草案では省かれている.この文言削除も,その他いたるところで見られる削除と同じく,
軍の暴走が引き起こしてしまった,大東亜戦争という過ちを二度と起こさぬよう,
二重に三重に言葉を重ねて,一部権力機関による暴走を未然に防ごうとしてきた
現行憲法の工夫と努力を骨抜きにしてしまうやり口なのだ.
(一方で草案の「国民」の義務に相当する部分では逆に二重三重に言葉が重ねられている.)
そうして更には草案第一章第一条に元首という文言が組み込まれた.

第1条(天皇)
天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,
その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく.
(自民党憲法改正案より)

引用を始めるとキリがないし,長くなる.
締め括りに草案と現行憲法の前文を並べて挙げておこう.
草案の前文は簡潔になったが,それは戦犯としての反省を早く忘れたい気持ちと,
(どれだけ時代が進んだとしても,先の大戦による荒廃と簡単にかわせるような軽いものだったろうか?)
したがって歴史的過ちから学ぶという重要なチャンネルを閉ざそうという明確な「意志」が,
逆に感じられてならない.
これはとても恐ろしいことだと思う.

自民党憲法草案 前文

日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって,
国民主権の下,立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される.
我が国は,先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し,
今や国際社会において重要な地位を占めており,
平和主義の下,諸外国との友好関係を増進し,世界の平和と繁栄に貢献する.
日本国民は,国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り,基本的人権を尊重するとともに,
和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する.
我々は,自由と規律を重んじ,美しい国土と自然環境を守りつつ,
教育や科学技術を振興し,活力ある経済活動を通じて国を成長させる.
日本国民は,良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため,ここに,この憲法を制定する.

まず「国」のことが書かれ,次に「天皇」が書かれ,そしてやっと「国民」の順だ.
しかもできるだけ目立たぬよう,「国民主権」の四字熟語に収められている.
代わりに増えた文言が日本「国」の固有性であり,位置付けであり,(対国民ではない)対外的役割である.
その記述が終わってから,それを踏まえた上での「国民」が果たす「べき」文言が続く.

どうだろう.さぁ,ニッポンのみんな,良い子になろう!ってことらしい.
深い人間的あるいは歴史的苦悩や,先人たちがそれこそ血と汗と涙の末に勝ち取ってきた,
おそらく全人類に普遍的な人間個人としての権利概念への畏敬の念が微塵も感じられない.
「友達と仲良くしましょう」「美しい国にしましょう」「みんな元気に頑張りましょう」
要するに先生がクラス運営を円滑に進めるために,天下りにこんな学級目標を掲げた,ということだ.
先生に従うことが大事だと信じてやまない児童たちには,さぞ分かりやすい目標だろう.
あるいは(政治家も含めた)一億総学校化社会に慣れ親しんできた現代日本人にとって,
端的に目標だけ掲げられた方が分かりやすく納得しやすい,ということか.
そしてこの「空気」から外れた者は先生に叱られたり諭されたりするわけだ.
(戦時中でいうところの「非国民」というやつだね.)

何と安上がりな学級目標,そして何という息苦しいクラス.
つくづく残念な国に成り下がってしまったものだ.


さて,ではいよいよ現行の憲法前文を掲げよう.
そこにはまず「国民」のことが書かれ,主権が国民にあることを丁寧に,
かつその権利が再び国に奪われることの無きよう注意深く重ねて記述し,
その考え方の根拠を歴史認識と人類が普遍的に目指すべきであろう原理原則に求めている.
この憲法は人類が共通に抱くであろう素朴な願いから出発している.
だからこそ心動かされ,この憲法を誰もが納得し,護ろうとし,
その願いに向けての努力を人々が自発的に起こそうとするのではなかろうか.
こういった発想ができるのも,「国」より先にまず「個人」が有るのだという
現行憲法を貫く哲学があるからなのだ.

「戦勝国による押し付け憲法だ」などという幼稚な反発のもと,
軽々しく「日本国」の固有性を謳う学級目標憲法とは次元が違うのだ.

日本国憲法 前文

日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,
われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,
ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する.
そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,
その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する.
これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである.
われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する.
日本国民は,恒久の平和を念願し,
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,
われらの安全と生存を保持しようと決意した.
われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ.
われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,
平和のうちに生存する権利を有することを確認する.
われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,
政治道徳の法則は,普遍的なものであり,
この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる.
日本国民は,国家の名誉にかけ,
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ.

 山は樹を以て茂り
 国は人を以て盛なり
       吉田 松陰

個人の存在根拠を国が認めないのなら,やがてその国は亡ぶと思う.

まいばん星たちが
夜空でささやいていることを
だれもが忘れないでいて
こどもが見る夢は
いつだって楽しくて
道ばたのたんぽぽのように
いっしょうけんめい生きることに
だれもがよろこびを感じられる

そんな国であって欲しい

私信 2003/04/02 より

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ふらっと行ってきた,山本富章|斑粒・ドット・拍動@豊田市美術館

そういえば先週,新装開館した豊田市美術館へ挨拶代わりに見に行った,
山本富章|斑粒・ドット・拍動 展.
この美術館,建物がカッコイイので気に入っている.
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階段昇って,
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ドーン.
山本富章/Festival on the Stage.
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山本富章/In the Forest.
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山本富章/bugs.
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もう一つの企画展,絵画凸凹 展から.
イミ・クネーベル/企画I B1-B4.
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これも確か同作者による作品.前から見てるとただの合板に見えるが,
横から見ると蛍光色に塗られた板が重なっているのが分かる.
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李 禹煥/刻みより.
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部屋自体が良い雰囲気だったので遠景も.
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北山善男/ タイトル忘れた.
ちょいと調べたら,愛知県美術館の最上階までの吹き抜けにぶら下がっている網目状のオブジェの作者だった.
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ブリンキー・パレルモ/無題.
これも部屋の雰囲気が良かったので遠景にて.
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彦坂尚嘉/ タイトル忘れた.
ちょいと調べたらむしろ無彩色の作品の方が珍しいらしい.
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作者 / タイトル 共に忘れた.
昭和時代の衣服を入れる金属製の箱のようなものから,金属の曲線が出ていた.
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で企画展を後にして,
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外に出てみよう.
ダニエル・ビュレン/色の浮遊|3つの破裂した小屋.
これは改修前からあった作品で,晴れた空に合う.
前回の愛知トリエンナーレで初めて見た作品.
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で,その作品の外には広い水辺.
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更に奥に進む.
高橋節郎館の入り口のオブジェ.
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そして振り返った景色.
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漆芸家・高橋節郎氏の作品は古典的な漆芸術ではなく,モチーフは至って現代的.
やや照明を落とした落ち着いた館内に,まさに漆黒と金銀の美しい世界が広がっている.

その他,豊田市美術館コレクションの常設展もあって,
グスタフ・クリムト,エゴン・シーレ,ジョアン・ミロ,マックス・エルンスト,
フランシス・ベーコン,サルバドール・ダリといった20世紀絵画の代表が一堂に会していた.
今回,イブ・タンギーの作品を初めて生で見られたのが収穫.素晴らしい.

さて,帰ろう.
ソル・ルウィット/柱のある立方体.
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そして,まだ桜が咲いていた.
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いずれもSONY ILCE-6000+Vario-Tessar T* E16-70mm F4 ZA OSS,
Lightroomにて現像

Never Let Me Go - 人間の非人間性

そこから取るものを取って仕事を終えた「解体者」たちは,
言葉もなくさっさと立ち去る.
内臓をすべて取りつくされ,開腹されたまま手術台の上に放置された,
かつてルースと呼ばれた体.
その体を覆う真っ白な滅菌ドレープからは二筋の赤い雫が音もなく床へと流れ落ちる.

心停止を告げるピーという無機質な音以外,何もない.

前期入試採点が終わり,出版社への原稿も書き終えて,
ちょっと前に買っておいた映画"Never Let Me Go"を観た.
もちろん今シーズンのドラマの影響だ.

その映画中の何とも切なくかつ後味の悪く,そして鮮烈な印象を残したシーンを
自分なりに文章にしてみたのが冒頭のものだ.

わたしを離さないで [DVD]

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www.tbs.co.jp

作者 Kazuo Ishiguro の意図は敢えて問わないで自由に考えてみる.

二筋の赤い雫は涙,全身で,全身が泣いているのだ.
そして,無機質な機械音は終了を意味すると同時に,
もっと生きていたかった,という悲痛な訴えにも聞こえる.

一体どんな理屈で人間はクローンから臓器を摘出できるのだろう?
生物学的には人間と全く同じであるクローンの命を二の次にできるのはなぜ?
映画中ではクローンの彼ら目線で進むから,
彼らをモノとして扱う外の人間,つまり普通の人間たちの方こそ非人間的に見える.

そもそも我々人類は元来他の生物を都合の良いように利用して生き延びてきた.
食べるための家畜・養殖や医学薬学の為の動物実験.
これらはしかしかろうじて我々と同一種族でない,
いわゆる「しゃべらない」生き物だからこそ彼らを利用することに抵抗が少ないのだろう.
けれどもこれが生物学的には人間であるクローンとなると,
本当は悩むはずのことだ.それを映画ではクリアしてしまっている.
「クローンだから,コピーだから」か.

こうした「造られた者」たちの哀しみは度々作品になってきた.
「ブレードランナー」はその代表作だろう.

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しかし振り返ると我々人類は,人間同士であっても同じような「利用」を行ってきた.
異民族間や異人種間の奴隷制度はまさに人間をモノとして利用する行為だった.
そしてこれは世界中のあらゆる場所,時代で行われてきた.
そう考えると,案外人間が人間らしくある状態というのは難しいことなのかもしれない.
人はいとも簡単に非人間的に成れる.
それはあの「夜と霧」にある,おぞましいアウシュビッツの記述を読めばよく分かろう.

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

生き残るためには,生き延びるためには,人は,あなたも私も,
簡単に人間を止め得る,そんな生き物なのだということを忘れちゃいけない.

それにしてもなぁ.クローン制度を受け入れたあの社会は,
代わりに「人間性」を放棄したということなんだろうか.
「いや,それでもまだ放棄していない」
寄宿学校ヘールシャムでの美術偏重の指導は,
あるいはそういった社会制度への細やかな抵抗だったのかもしれない.
地獄絵さながらのアウシュビッツで,なお人間的であろうとした
数少ない名も無き人たちのように.

人が強制収容所の人間から一切をとり得るかもしれない,しかしたった一つのもの,
すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由,
を奪い去ることはできない.
夜と霧/V.E.フランクル

Never Let Me Go

Never Let Me Go

暫しの休息

先週は幾つかイベントが続いた.
まず,自分が顧問しているマジックサークル"Shuffle"の訪問.
aue-magicshuffle.jimdo.com

カードマジックのほかに今回はメンタルで攻めてくるマジックを見せてもらった.
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まぁ,やられっぱなしでは色々悔しいので,こちらからも数学マジックを紹介.
今年度のオープンキャンパスネタだ.ものすごく真剣に考えるマジシャンたち↓
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さて,数学サークルSigma同様,新入部員が少なく,新年度に賭けよう,ということだそうだ.

それから週末,以前から企画予定だったタコパ.
「と・あ・る・事・情」でホールケーキでお祝いという流れに.
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最後はここ数年恒例となっている5代目とのスキーツァー.
何しろこちらもかなりな運動不足,無理の無いように滑ってきた.
まぁ,そろそろ皆が皆集まるのが難しい年代になってきたとも言える.
様々なことが重なって今回は4人ツァーとなった.
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@ダイナランド+高鷲スノーパーク

となりの人びと(現代美術 in 春日井)

いよいよ今年,3年ごとにやってくる「あいちトリエンナーレ」の年.
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その前哨戦となるイベントが
ちょこちょこ行われているが,
丁度春日井で小規模の展覧会が
行われているので行ってみた.

何しろ現代アート物は
写真撮影OKなものが多く,
そういった被写体探しという意味でも
楽しみだったりする.


aichi-art.com

あいにくパンフレットに全ての作品が載っていないため,
後から写真を見返してもどなたの作品だったか分からない物もあるが,とりあえず報告.

会場に入るとまずは「空気」の作品.
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竹田尚史 ― 空気になる私

同氏の作品はまた展示室内にもあった.
古い時代の自然科学全体を研究しているといった体裁の部屋が作られていて,
その研究の辿り着いた先が「空気」作品として結実した,ということだろうか.
何か宮沢賢治を彷彿とさせる.
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渡邊千夏 ― BIG MIRROR BOOK II
写真では分かり辛いが,実際に前で見ると元の描かれた虹と反射した虹とが
空間的に絡み合っているように見えて,面白い錯覚を引き起こす.
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今井俊介氏の作品.タイトルは憶えていない.
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ゴメンナサイ,作者も憶えてないのだけど,真っ白に塗られた哲学的な作品.
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田中翔貴 ― Portrait of zinc
時間と記憶に関わる作品.写真と絵画の間.良い味が出ていた.大きな作品.
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杉浦光 ― All Blue-expansion- II
作品は3つあったが,一番綺麗に思えたものを撮影.
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設楽陸氏の一群の作品.ゲーム的世界観の芸術的昇華,ということだろうか.
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その他,作者を憶えてない作品.ホント,申し訳ない.
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そしてトリエンナーレの特徴である街中アートへ.
使われなくなった建物にアート作品を展示するというやつだ.
まず,丸十ビルへ.普通のビルなので,うっかりすると通り過ぎるし,
別のフロアーでは通常の業務を行っているような状況で,
本当にアート作品があるのか,間違った所に来てしまったのでは,
と,やや怯えながら階段を上がった.
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大崎のぶゆき氏のインスタレーション.
真っ黒な部屋に街角落書きの寄せ集めのような模様が
真っ白なペンキで次第に変化していく映像が流れる.
そして無音.おそらく暖房設備が出す環境音だけがその部屋に響く.
そう,こういった静かな時間が流れる作品が好きだ.
そして何よりインスタレーションは空間そのものを異化してくれるから,
その間だけ小さな旅ができる.その感覚がとても心地良い.
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その隣の本屋でも展示があるそうなんだが,何と日曜定休なんだそうで,残念.
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で,何より驚いたのが最後の場所,「蔵」.
こんな建物がまだ春日井市のど真ん中にあるなんて知らなかった.
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で,作品本体はこの扉の下に空いた穴から聞こえる,音のインスタレーションだ.
村田仁 ― カエルの国会,人の町
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その扉の傍らに,またその存在だけでアートになってる古びた金庫が置いてあった.
これも作品の一部,なのだろうか.
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以上,報告終わり.帰り道,アートモードになった頭で歩いていると,
自然にできたアートが目に留まったので撮影.
標識なんかを立てるための穴だっただろう所が土で埋まり,
そこに植物が生えていた.
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いずれもILCE-6000+Sony E 35mm f1.8, Lightroomにて現像

う~ん,8月11日開始のあいちトリエンナーレ,楽しみだ!
新年度から2年間のおも~い仕事が降ってくるのだけど,これだけは譲れない.
あいちトリエンナーレ2016