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音楽に現れる数論

新年のあいさつ代わりに,昨日作ったあるイラストを紹介.(クリック拡大↓)



紀元前のピタゴラスあたりから明確に12音音階が意識されてきた中で,
なぜDiatonic tone(白鍵のこと)は7音で,しかもあのように選ばれたのか,
についてのおそらく尤もらしい説明図が上記のもの.
そこには,古代の人間が音楽を探究する中で
無意識ながらにも体感的に発見してきた音楽理論に
数論的な性質が見事に反映されているように見える.
実際,7/12は音楽理論で言う完全五度にあたる,
log2(3/2)の連分数近似の一つだ.


今年度卒のゼミでの大きな収穫の一つは,
こうした数理音楽の諸事実を我々ながらの視点で探究できたことだ.
実際いくつかの数理音楽的現象を数論と音楽の両面で考察でき,
昨年後半期,週一のその時間は楽しみだった.


一方昨夏は,Rotation Dynamicsにおいて時間方向と空間方向の
ある種の対称性を見つけた*1
そして音楽理論は,log2(3/2)を通じて,
このRotation Dynamicsと深く結びついている.
おそらくこの時間-空間対称性は,数理音楽理論に反映されているはずで,
きっと音楽家たちはこの事実を経験的に見つけ音楽に利用してきたはずだ.
本年は,この辺りの事情をもう一歩探りたい.


幸い来年度卒のゼミ生にも数理音楽に興味を持った学生がいる.
その昔オイラーが言い出したTonnetzの話に興味を持ったらしい.
現在はD. Tymoczkoがその理論を推し進めている.
また議論ができることが楽しみだ.

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

Foundations of Diatonic Theory: A Mathematically Based Approach to Music Fundamentals

Foundations of Diatonic Theory: A Mathematically Based Approach to Music Fundamentals

*1:Spatio-temporal symmetry on circle rotations and a notion on diatonic set theory,
to appeare in Bull. of Aichi Univ. of Education, Natural Science 63, 2014.

行ってきたよ「逆シミュレーション音楽」展!

岐阜県美術館でルドン展やってるので前から行こうと思ってたが,
ちょうど三輪眞弘氏がこの日,この美術館でミニコンサートを交えた座談会をする,
ってことでワクワクしながら行ってきた.


三輪氏の活動を知ったのは,10年ほど前,
丁度ここに赴任したとき割り当てられた
訳のわからない講義「総合演習」のネタ探しをしていた時だ.
みつけたのは「またりさま」
(参考動画:Reverse Simulation Music Part1/2
論理演算にしたがって進行する音楽を人間が演奏するという,
「逆シミュレーション音楽」.
要するに有限状態オートマトンを人間が模倣して演奏するということだ.
頭の上では起こることが容易く想像できるものの,
実際それを演奏するとなるといやいやなかなか面白いことが起こる.


論理演算というおそらく宇宙を選ばず常に同じ結果を導くもの
そういったイデアを身体表現によって現実世界に落とすという行為


そのあたりに,この芸術活動の発端がある,といったようなことを
座談会で三輪氏は話してたのかな.



そうそう,三輪氏作曲のFour bit counters for eight hands
に触発されて,実は前期の初年次導入演習では
クラス30人でXOR演算を利用した「自動音楽」演奏をやってみたんだ.
もちろん,演奏道具はドレミパイプ.

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

話の入り口は階段の電灯の話.上でも下でも,
いや何階あってもどこでも電灯はon/offできる.あれはXORなんだ.
で,じゃぁ皆も階段のスイッチになってみよう,って運びで30人ぐるっと輪になって演奏へ.
3クラスやっていくうちに,
どうすると演奏として成り立つかがだんだん分かってきて,
なかなかシュールな時間が生まれた↓

実際の演奏(1年中等数学C組)→mp3形式,2:38
一人から始めて,タイミングを見てどんどん開始点を増やして和音にした.
完全5度の音程のパイプを各自2本ずつ思い思いに持って,
XORルールに従って前の人の肩を叩く.
それだけなんだけど,音楽になるでしょ.


因みに,↓はケルンで行われたFour bit counters for eight handsの演奏.
美術館でのミニコンサートでもこれが演奏された.



そうだ,三輪氏のトークの中で「教育は暴力だ」というくだりがあったっけ.
全くそうだ,と思う.
特に新しい枠組みを生み出したい人たちにとって,
教育は邪魔以外の何物でもないはずだ.
しかし,そのあたりの感覚,「先生の言うまま」に,
教育に飼い慣らされてきた「良い子ちゃんたち」には分からないだろうな.
でも教育現場に向かう君たちこそ,
そんな子供もいるんだってこと,ちょっとは気に留めておいてほしいんだ.
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

世界は実在なのか関係なのか

表題は,ケン・ウィルバーが編集したニューサイエンス論考集
「空像としての世界」に当時巻かれていた帯の文言.


フラフラしていた大学生時代にニューサイエンスにはまった.
きっかけはF.D.ピートの「シンクロニシティ―」.
現時点でのあらゆる初期値が厳密に分かれば,将来は確実に予想できる,
というニュートン運動方程式に始まる決定論的世界観に,
何とも言えない閉塞感と絶望感に打ちのめされていたときに,
その本に出会った.
その当時大流行だった,量子論を組み込んだ新しい世界観,
「人間の自由意思はそれでも存在しうるのだ」
そう高らかに謳い上げる思想に,心が大いに躍った.


あれから20年.再び大きな閉塞感に苛まれる日々となった.
この寂寥感と喪失感は何だろうか.
入学したころの学生たちは目新しさもあるからだろうが,
「学ぶ」ことに少なからず心が開かれている.
しかし学年が進むにつれ,学生らは「学び」に無関心になる.
下手をすれば「大学での学び」を敵視するようになる.
そういった輩は教育現場に行って
「大学での勉強は糞の役にも立たなかった」と嘯くのだろう.


ちょっと前の自分なら,「何をコノ!」と怒るのだろうが,
学生がそうなってしまうのも已む無し,とこの頃は思えてならない.
むしろ,やっと受験という足枷から解放され,
学びに自由が戻るはずの大学において,
学ぶことの本来的な楽しさを再認識させられずに卒業させて,
申し訳なかった,と思う.
実際,学生の「本当の意味での学び」を興し自律性を育てる,
そういった明確なベクトルを持った講義があまりに少ない,と思う.
つまらないルールだとか目先の成績を盾にとることで,
どれだけ学びの本質から彼らを遠ざけてしまっていることか,と思う.
正直なところ,学生一人一人の学びの独自性を保障しない,
「一斉授業」という形式自体に,もはや限界を感じてならない.


そんな経緯もあって,一斉授業という形が日本に導入される明治以前の
江戸時代の学びについての本に出会った.「学び」の復権―模倣と習熟 だ.
貝原益軒の思想を出発点に,現行の教育制度を見直そうという話なんだが,
まだ読んでる途中なので内容には踏み込まない.
ただ,ちょっと面白いな,と思ったのが益軒が朱子学における「理」を
どうしても認めなかった,というくだりだ.
朱子学は,あらゆるものは「気」(「気功」の気も同じ思想)を持ち,
気は「理」と呼ばれる秩序法則に従っている,といった思想哲学らしい.
この辺から自分の曲解が入るので気を付けてほしいのだが,
朱子学において「気」は形而下のもので,「理」は形而上のもの.
それは「実存」と「関係」と読み替えられるか,と思っている.
そして益軒は「関係」が実体を持つことを受け入れられなかった,
ということなのかな,と.


で,初めの「空像としての世界」の論考集では,
「実在」と「関係」にまつわる様々な考察が行われていたと記憶している.
つまり,世界の本質は「実在」なのか,
それともそれらの間の「関係」なのか,と.
「関係」が実体を持つことを受け入れられない論者がいれば,
ハイゼンベルグが言ったように,宇宙の究極の存在は一握りの対称性に集約される,
といった,「関係」こそが実体だと論じたものがあった.


このところ,和声理論をトポスの言葉で分析し再構成する数理音楽の論文を
色々と読み漁っているところなのだが,それに並行して圏論の再勉強をしている.
そして圏論は,まさにこの「実在」から「関係」へ視点を移してみよう,
という試みにほかならない.
つまり「実在」としての「点」が実体として先にあるのでなく,
点と点を結ぶ「射」という「関係」こそが実体だとして,数学を見直すという方法論だ.
(いや,これは数学理論なのだから,もちろんそんな思考のバイアスは元から無いのだけど)


さて.ここ1年ほどつきまとっている寂寥感と喪失感も,
「実在」から「関係」へパラダイムシフトすることで,
あるいは違って見えるようになるんだろうか.


空像としての世界―ホログラフィをパラダイムとして

空像としての世界―ホログラフィをパラダイムとして

シンクロニシティ

シンクロニシティ

「学び」の復権――模倣と習熟 (岩波現代文庫)

「学び」の復権――模倣と習熟 (岩波現代文庫)

アルゴ「リズム」の夕べ

この3連休中にあと2回分の初年次導入ネタを開発したかったのだが,
これまでのところ小ネタは集まったが講義として成立し辛い状態のままだ.
当初からのアイディアで,Boomwackerを使った,
アルゴリズミックな即興演奏をクラス全体で奏でる何てことも考えていたのだが,
何かまとまらない.
で,な〜んかないかなぁっと「アルゴリズム音楽」をKeywordに探していたら,
こんな面白いページを見つけた.
Bemmu & viznut によるアルゴリズム音楽オンライン生成のページ

何とJavascriptでリアルタイムに入力した数式から音楽合成を行うようだ.
なんかいろいろ遊んでたら,Daft Punkっぽくなった.
え,彼ら,もしかして...って,怒られますね.


クリックすると,作った数式で演奏が始まる.
音量に注意→つくってみた


まぁ,そもそもミニマルミュージックってのも,極小の仕組みだけで音楽を作る動きだから,
アルゴリズム音楽とも思えるのかな.
そうだ,Steve Reichの有名な Piano Phase 貼っとこ.
音楽のモアレ現象だ.



って遊んでると,あっという間に一日が終わる.
危ない危ない.

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

CeVIO,おもしれぇ!

フリーの音声合成ソフトCeVIO Creative Studio FREEが公開されたので,
早速いじってみた.

2004年にYAMAHAかたVocaloidが発売されて以来,
歌声合成技術は完全に一般が認知するところとなったが,
あの鼻を摘んだような歌声がどうしても気に入らなかった.
もちろん,それなりの調教師がいじればそれなりのものにはなったのだけど.
が,このCeVIOプロジェクトでは,デフォルトで鼻摘み感がかなり無くなってる.
隠れマルコフモデルの音声合成への応用なんかをちら読みしたんだけど,
如何にして音素同士を自然に滑らかに繋ぐかに力がそそがれていて,
一定量の文脈での学習データを揃えたのち,学習外の音素をつなぐ際には,
隠れマルコフモデルで尤もらしいつなぎ方で合成する,ってなことなのかな.


自然(この場合音声会話)を単純化して数学モデルにし,
そこに数学という道具を使って解析と合成を行って,再び現実世界へ還元したものであり,
まさに数学という思考の道具箱が十二分に使われている様がよく分かる例じゃないかな.