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四度堆積からの誘い(1)

その昔,Debussyが音楽院の学生だった頃,
完全四度を積み重ねた和声による音楽をまだ誰も作っていないことにあるとき気付き,
とても喜んだ,という逸話を何かで読んだ気がする.
この四度堆積和音という視点はそれ以後,
たくさんの音楽家たちによって試みられ,様々に発展してきた.

私自身ここにきて改めて,四度堆積という見方が気になり始めた.
というのも,それ以上音を付け加えると壊れてしまう気がするという意味で完全な和音,
トリスタン和音が四度堆積和音の派生物とも捉えられることに気付いたからだった.
トリスタン和音 - Wikipedia
ついでにこの四度堆積和音の他の派生物も色々弾き試してみると,
Jazzyな和音が次々に現れてくる.おやおや.

そんなことを大学に通勤する前の毎朝数十分,ピアノ練習の中であれこれやっているうちに,
この四度堆積,あるいは一般にn-semitone堆積という視点で
数理音楽を展開するのはどうだろう,と安直に思ったわけだ.
(そんなことは既に大勢の人がやってきたことだけど.)
一度古典的な三度堆積の音楽世界から離れたら,
無理に分数コードなんてこと考えなくても済むんじゃないか,なんてね.

この3月で卒業するゼミ生の卒論の一つTymoczkoによる「和音の幾何学」だった.
多声部の教会音楽が作られるようになって以来,
いかにして心地良く和声をつなげるか,つまりスムーズなvoice leadingをどう見つけるか,
といったことは現実的な問題として必要だった.
Tymoczkoが試みていることは和音を「上手く」空間配置し,
和音間の距離,あるいは位相を考えることで
効率良くスムーズなvoice leadingを探す,という提案だった.
もっともこの和音の幾何学化,古くはオイラーにまで遡るのだけど.
(そしてそこで提案されたTonnetzというアイディアは,
何と高校「数学活用」の教科書にも載っているんだ!)

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

例えば3つの音からなるあらゆる和音(非和声和音も)全てを空間に配置しよう.
1オクターブは12半音あって,オクターブ違いの音は同一とみなすなら,
Z/12Z で音たちを捉えることになる.
したがって3音和音(triad)はこの3組(Z/12Z)3,あるいは(R/12Z)3の点として表される.
するとまたtriadの転回形も全て同一と見做すから,この3組は順に依らない,
つまり (R/12Z)3/S3 の点として捉えられる.

ここでTymoczkoは12半音を3等分するC,E,G#を断面とする座標系をとってtriadを配置した.
例えばtriad CEG#は△CEG#の重心に取る.
triadを構成する3音の第1,2,3音を半音上げるベクトルをa1,a2,a3とする.
例えばCEG#+a1=C#EG#,CEG#+a2=CFG#,CEG#+a3=CEAといった具合だ.
ところがこのベクトルたちを注意深くとっておくと
triadを構成する3音が張る平面上にそのtriadがあるようにできる.
例えばtriad CEAは平面CEA上にある,といった具合に.
f:id:okiraku894:20150320122055p:plain

これがたまたま3音だからというわけではなく,一般にn音和音でも(R/12Z)n/Snの上で可能だ,
ということが上記の卒論で示されている.卒論はしかし配置までで実質終わっているが,
この図を見ていると色々と音楽的現象が説明されるようで面白い.

ところで四度堆積はどこいった,ということなんだが,
Tymoczkoは(おそらく)12半音を等分するという意味でCEG#-断面で座標系をとった.
しかしJazzyな響きなどはオクターブに収めて説明できるようなものじゃない.
だからZ/12Zより拡げよう,そうすると断面はもっと自由になる.
トリスタン和音を捉えたい,ならば4音和音を考えよう.
そしてトリスタンは四度堆積からの派生だ,ならば断面を四度4つで始めよう.
つまり,CFB♭E♭-断面からだ.因みにトリスタンはこの第2音を半音上げたものだ.
そしてあらゆる4音和音はそれを構成する4音が張る超平面上にあるように
生成ベクトルを調節できる.

ところで自分が本当に捉えたいのは和音の色彩感.
その入り口となる研究が音楽心理学の観点からCook氏らによって行われている.
例えば和音の緊張度といった概念が挙げられている.
和音を構成する音の隣接間隔が同じであるほど人は緊張感を感じる,
という心理実験に基づいて倍音まで考慮して和音の緊張度計算モデルを提示している.
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↑卒論から.
因みにTymoczkoの断面CEG#は三度堆積和音だから緊張度が高い.
(しかも3度=4半音なので12の約数だから倍音を考慮しても緊張度が下がらない.)
四度堆積CFB♭E♭-断面も同様に緊張度が高い.
そして空間配置はこの高緊張度和音を中心軸にして配置されることになる.
これは何を意味するのだろうか?

あるいはモダリティー.いわゆる和音の明暗のモデルも提案されている.
f:id:okiraku894:20150320122056p:plain
↑卒論から.
このモデルに従えば,等間隔和音は中性的ということになる.
(完全四度=5半音は12と互いに素だから,倍音まで考慮すると
四度堆積CFB♭E♭-断面はどっちかに傾いてるかもしれないが.)

そんなこんなで四度堆積,一般にn度堆積和音からの音楽解釈は
数理音楽的に面白いんじゃないかと思い始めた次第.

因みに卒論で使った図はBASICで.ついでに倍音の影響がどのように反映するか
その様子を例えば緊張度についてこんな感じ,と以下に貼っておく.

↓純音のみ
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↓2倍音まで考慮
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↓3倍音まで考慮
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↓5倍音まで考慮
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「ン」ジャジャジャ ジャーン なのだ

ジャジャジャ ジャーン じゃない,1拍目,休符から入るんだ!
だから緊張感が出るんだ!

っていう話を中学生ぐらいに聞いて,浜松駅近くのYAMAHAで
Beethoven Symphony No.5 の楽譜を探したのを思い出しながら,
今年も夏の当大学オケ公演を台風一過ギリギリで聴きに行った.

人々がある意味,無邪気に高らかに人生を謳いあげることのできた古典派の音楽.
あれから我々人類,ちょっとは幸せになったのだろうか?


美術館屋上の吹きさらしのオブジェを眺めながら,
絶対を失った現代の彷徨いをふと憂う.

そういえば横浜トリエンナーレ,始まったそうだ.
行こうかなぁ...

音楽に現れる数論

新年のあいさつ代わりに,昨日作ったあるイラストを紹介.(クリック拡大↓)



紀元前のピタゴラスあたりから明確に12音音階が意識されてきた中で,
なぜDiatonic tone(白鍵のこと)は7音で,しかもあのように選ばれたのか,
についてのおそらく尤もらしい説明図が上記のもの.
そこには,古代の人間が音楽を探究する中で
無意識ながらにも体感的に発見してきた音楽理論に
数論的な性質が見事に反映されているように見える.
実際,7/12は音楽理論で言う完全五度にあたる,
log2(3/2)の連分数近似の一つだ.


今年度卒のゼミでの大きな収穫の一つは,
こうした数理音楽の諸事実を我々ながらの視点で探究できたことだ.
実際いくつかの数理音楽的現象を数論と音楽の両面で考察でき,
昨年後半期,週一のその時間は楽しみだった.


一方昨夏は,Rotation Dynamicsにおいて時間方向と空間方向の
ある種の対称性を見つけた*1
そして音楽理論は,log2(3/2)を通じて,
このRotation Dynamicsと深く結びついている.
おそらくこの時間-空間対称性は,数理音楽理論に反映されているはずで,
きっと音楽家たちはこの事実を経験的に見つけ音楽に利用してきたはずだ.
本年は,この辺りの事情をもう一歩探りたい.


幸い来年度卒のゼミ生にも数理音楽に興味を持った学生がいる.
その昔オイラーが言い出したTonnetzの話に興味を持ったらしい.
現在はD. Tymoczkoがその理論を推し進めている.
また議論ができることが楽しみだ.

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

A Geometry of Music: Harmony and Counterpoint in the Extended Common Practice (Oxford Studies in Music Theory)

Foundations of Diatonic Theory: A Mathematically Based Approach to Music Fundamentals

Foundations of Diatonic Theory: A Mathematically Based Approach to Music Fundamentals

*1:Spatio-temporal symmetry on circle rotations and a notion on diatonic set theory,
to appeare in Bull. of Aichi Univ. of Education, Natural Science 63, 2014.

行ってきたよ「逆シミュレーション音楽」展!

岐阜県美術館でルドン展やってるので前から行こうと思ってたが,
ちょうど三輪眞弘氏がこの日,この美術館でミニコンサートを交えた座談会をする,
ってことでワクワクしながら行ってきた.


三輪氏の活動を知ったのは,10年ほど前,
丁度ここに赴任したとき割り当てられた
訳のわからない講義「総合演習」のネタ探しをしていた時だ.
みつけたのは「またりさま」
(参考動画:Reverse Simulation Music Part1/2
論理演算にしたがって進行する音楽を人間が演奏するという,
「逆シミュレーション音楽」.
要するに有限状態オートマトンを人間が模倣して演奏するということだ.
頭の上では起こることが容易く想像できるものの,
実際それを演奏するとなるといやいやなかなか面白いことが起こる.


論理演算というおそらく宇宙を選ばず常に同じ結果を導くもの
そういったイデアを身体表現によって現実世界に落とすという行為


そのあたりに,この芸術活動の発端がある,といったようなことを
座談会で三輪氏は話してたのかな.



そうそう,三輪氏作曲のFour bit counters for eight hands
に触発されて,実は前期の初年次導入演習では
クラス30人でXOR演算を利用した「自動音楽」演奏をやってみたんだ.
もちろん,演奏道具はドレミパイプ.

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

Boomwhackers/ドレミパイプ ダイアトニックセット(ドレミファソラシド)8音セット BWDW

話の入り口は階段の電灯の話.上でも下でも,
いや何階あってもどこでも電灯はon/offできる.あれはXORなんだ.
で,じゃぁ皆も階段のスイッチになってみよう,って運びで30人ぐるっと輪になって演奏へ.
3クラスやっていくうちに,
どうすると演奏として成り立つかがだんだん分かってきて,
なかなかシュールな時間が生まれた↓

実際の演奏(1年中等数学C組)→mp3形式,2:38
一人から始めて,タイミングを見てどんどん開始点を増やして和音にした.
完全5度の音程のパイプを各自2本ずつ思い思いに持って,
XORルールに従って前の人の肩を叩く.
それだけなんだけど,音楽になるでしょ.


因みに,↓はケルンで行われたFour bit counters for eight handsの演奏.
美術館でのミニコンサートでもこれが演奏された.



そうだ,三輪氏のトークの中で「教育は暴力だ」というくだりがあったっけ.
全くそうだ,と思う.
特に新しい枠組みを生み出したい人たちにとって,
教育は邪魔以外の何物でもないはずだ.
しかし,そのあたりの感覚,「先生の言うまま」に,
教育に飼い慣らされてきた「良い子ちゃんたち」には分からないだろうな.
でも教育現場に向かう君たちこそ,
そんな子供もいるんだってこと,ちょっとは気に留めておいてほしいんだ.
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

世界は実在なのか関係なのか

表題は,ケン・ウィルバーが編集したニューサイエンス論考集
「空像としての世界」に当時巻かれていた帯の文言.


フラフラしていた大学生時代にニューサイエンスにはまった.
きっかけはF.D.ピートの「シンクロニシティ―」.
現時点でのあらゆる初期値が厳密に分かれば,将来は確実に予想できる,
というニュートン運動方程式に始まる決定論的世界観に,
何とも言えない閉塞感と絶望感に打ちのめされていたときに,
その本に出会った.
その当時大流行だった,量子論を組み込んだ新しい世界観,
「人間の自由意思はそれでも存在しうるのだ」
そう高らかに謳い上げる思想に,心が大いに躍った.


あれから20年.再び大きな閉塞感に苛まれる日々となった.
この寂寥感と喪失感は何だろうか.
入学したころの学生たちは目新しさもあるからだろうが,
「学ぶ」ことに少なからず心が開かれている.
しかし学年が進むにつれ,学生らは「学び」に無関心になる.
下手をすれば「大学での学び」を敵視するようになる.
そういった輩は教育現場に行って
「大学での勉強は糞の役にも立たなかった」と嘯くのだろう.


ちょっと前の自分なら,「何をコノ!」と怒るのだろうが,
学生がそうなってしまうのも已む無し,とこの頃は思えてならない.
むしろ,やっと受験という足枷から解放され,
学びに自由が戻るはずの大学において,
学ぶことの本来的な楽しさを再認識させられずに卒業させて,
申し訳なかった,と思う.
実際,学生の「本当の意味での学び」を興し自律性を育てる,
そういった明確なベクトルを持った講義があまりに少ない,と思う.
つまらないルールだとか目先の成績を盾にとることで,
どれだけ学びの本質から彼らを遠ざけてしまっていることか,と思う.
正直なところ,学生一人一人の学びの独自性を保障しない,
「一斉授業」という形式自体に,もはや限界を感じてならない.


そんな経緯もあって,一斉授業という形が日本に導入される明治以前の
江戸時代の学びについての本に出会った.「学び」の復権―模倣と習熟 だ.
貝原益軒の思想を出発点に,現行の教育制度を見直そうという話なんだが,
まだ読んでる途中なので内容には踏み込まない.
ただ,ちょっと面白いな,と思ったのが益軒が朱子学における「理」を
どうしても認めなかった,というくだりだ.
朱子学は,あらゆるものは「気」(「気功」の気も同じ思想)を持ち,
気は「理」と呼ばれる秩序法則に従っている,といった思想哲学らしい.
この辺から自分の曲解が入るので気を付けてほしいのだが,
朱子学において「気」は形而下のもので,「理」は形而上のもの.
それは「実存」と「関係」と読み替えられるか,と思っている.
そして益軒は「関係」が実体を持つことを受け入れられなかった,
ということなのかな,と.


で,初めの「空像としての世界」の論考集では,
「実在」と「関係」にまつわる様々な考察が行われていたと記憶している.
つまり,世界の本質は「実在」なのか,
それともそれらの間の「関係」なのか,と.
「関係」が実体を持つことを受け入れられない論者がいれば,
ハイゼンベルグが言ったように,宇宙の究極の存在は一握りの対称性に集約される,
といった,「関係」こそが実体だと論じたものがあった.


このところ,和声理論をトポスの言葉で分析し再構成する数理音楽の論文を
色々と読み漁っているところなのだが,それに並行して圏論の再勉強をしている.
そして圏論は,まさにこの「実在」から「関係」へ視点を移してみよう,
という試みにほかならない.
つまり「実在」としての「点」が実体として先にあるのでなく,
点と点を結ぶ「射」という「関係」こそが実体だとして,数学を見直すという方法論だ.
(いや,これは数学理論なのだから,もちろんそんな思考のバイアスは元から無いのだけど)


さて.ここ1年ほどつきまとっている寂寥感と喪失感も,
「実在」から「関係」へパラダイムシフトすることで,
あるいは違って見えるようになるんだろうか.


空像としての世界―ホログラフィをパラダイムとして

空像としての世界―ホログラフィをパラダイムとして

シンクロニシティ

シンクロニシティ

「学び」の復権――模倣と習熟 (岩波現代文庫)

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