この頃読んで「へぇ~」ってなった本の紹介.
タイトルだけチラッと見ると「経済力による学力格差」の話かな,なんて思うけどそうじゃない.
「教育経済学」という,社会を計量的に分析してきた経済学の手法を教育の場に適用してみたら,
人々が教育上「良いと思っていること/悪いと思っていること」が案外根拠ないんだよ,
ともすると反対のことをしちゃってるよ,という結果が集まったって話.
教育経済学という発想自体,いかにもアメリカらしいプラグマティズムだけど,
教育評論家や現場教員の「いかにも正しそう」な議論や主張がどうであろうと,
大規模「実験」データが示す結果をバイアス無しに受け止め,科学的な帰結を導く様子は天晴だ.
(教育現場で「(教育)実験」なんてできるのかって思うけど,
工夫次第で倫理的問題無しで可能なんだとさ.「自然実験」が良い例.)
帯にも載ってしまっているからここに載せても良いと思うけど,端的な結果が,
- ご褒美で釣っても「よい」
- ほめ育てはしては「いけない」
- ゲームをしても暴力的には「ならない」
おやおや特に1番目の話,ここでしばしば(サブリミナルのように)紹介している
「人を伸ばす力」に反するんじゃないの?って思ったんだけどそうじゃなかった.
正確にはご褒美の設定方法次第なのだ,という実験結果であって矛盾しない.
そもそもデシの主張も大規模データから導かれた結果だったのだから.
むしろデシの主張通り,人の「やる気」というものが如何に繊細で損なわれやすいものか,
追加実験をしたような形だった.
冒頭の本を読み進めてみると教育における「経験論」は特殊事例から導かれたもの,
ということが往々にしてあると分かる.
「偉い人がそう言っているから」「他人の成功体験から言うと」だけで動くと,
どれほど子どもたちをミス・リーディングしてしまうかってことだ.
2001年アメリカで成立した「落ちこぼれ防止法」のなかには「科学的な根拠に基づく」
というフレーズが111回使われているそうだ(p.18).
で,その「科学的根拠」に階級が設定されていて,それが面白い.
ランクの高い順に並べると(p.164),
ランダム化比較実験>非ランダム化比較実験>分析疫学研究>症例報告>専門家の意見や考え.
つまりアメリカの教育政策において専門家の意見や考えは「科学的根拠」としては弱い,
と言っているわけだ.教育においてもモノを言うなら「実験データで示せ」ということだろう.
というより,一専門家のフィルターを通る前の「素の結果」を皆の前に提示して,
皆が同一の見方に行き着けるのであれば「科学的根拠としよう」ということなのだろう.
もちろん著者は日本人なので,日本における教育政策の「非科学性」を嘆いておられる.
たとえばつい先日公表された全国学力テストについて.
県別順位といったものも,その県の家庭の資源(家庭や地域の経済力,利便性等)が
学力に与えている影響を取り除いたうえで比較しないのなら,
単に子どもの家庭の資源の順位を表しているにすぎない可能性がある,と(p.120).
もしも順位を公表するなら,学校名だけでなく,その学区の生活保護率,
就学援助率,学習塾等事業者の数や売り上げなど,
家庭の資源を表す情報も紐づけて公表すべきです.
中室牧子/「学力」の経済学 p.125 より
こんな話を知った後に「うちの県の順位が上がった/下がった」なんていう知事会見を見ると,
1%の視聴率変動に右往左往するテレビ局を見ているようで,何とも恥ずかしい限り.
せっかく税金を投じて行っている全国テスト,しかし「個人情報」云々で紐付けられず,
結果,科学的根拠として使い物にならないデータだけが出てくる政策に,
著者が隔靴掻痒の思いをされている様子がいたるところに見受けられた.
あれぇ,そういえばどこぞの大学の授業アンケートや教務データもそんな感じだっけ...(:P