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残念な国(9-b)―あたらしい憲法草案のはなし

お,やるじゃないか.
www.asahi.com
争点化を避けている政府与党に対し,マンガ雑誌らしい提起の方法だ.
ちなみにこれはかつての文部省(文科省ではない)が
戦後の新しい国の形を子供向けにやさしく説明したもので,
現在では青空文庫としてweb上で読めるようにもなっている.
文部省 あたらしい憲法のはなし
その中にある↓の画は教科書で皆見たことがあるんじゃないだろうか.
f:id:okiraku894:20160702170121p:plain
戦争に使われていたものを平和なものに作り変えていこうという国家の意気込みを表す,象徴的な画だった.
人々がこんなふうに心底平和な世界を願っていた時代だった.

さて,この「あたらしい憲法のはなし」を読んだついでに,
次の「あたらしい憲法草案のはなし」を是非読んでみて欲しい.

あたらしい憲法草案のはなし

あたらしい憲法草案のはなし

  • 作者: 自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合
  • 出版社/メーカー: 太郎次郎社エディタス
  • 発売日: 2016/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (5件) を見る
うんうん,なにしろ自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合が作っているんだ,
きっと素晴らしいこれからの新しい国の形を示してくれているに違いない.
出版社のHPにある内容紹介を見てみよう.

「国民が国家をしばる約束」から「国家と国民が協力してつくる『公の秩序』」へ.
草案の提案する憲法観の大転換を,起草者たちの論理と願望にぴったりとよりそって語る.

そうそう,もう本当にぴったりと寄り添い,ありったけの想像力を駆使して
どんな思いでこの草案が作られたのかを考えないと分からない内容だものね.
はじめに,を読んでみよう.

....
 憲法はいま,大きな分かれ道にたっています.政府と与党である自民党のあいだで,いままでの憲法をあたらしい憲法に変えようという気運が高まっているのです.
 憲法を変えるためには,衆議院と参議院のそれぞれで,3分の2以上の議員の賛成を得ることが必要です.両院で3分の2以上の賛成を得られたら,つぎには国民投票がおこなわれ,投票者の2分の1以上の賛成が得られれば,あたらしい憲法に変わります.
 このように,憲法を変えるためには,とても高い壁がたちはだかっています.それだからこそ,憲法は70年も変えられずにきたのです.
 ですが,この高い壁がこえられる日は,近いかもしれません.憲法を変えたいと思っている両院の国会議員の数が,3分の2を超えようとしているからです. 
 いいかえれば,いままさに,わたしたち国民ひとりひとりが,現在の憲法のままがよいか,あたらしい憲法に変えるべきかを問われているのだといえましょう.

おやおや,それは大きな変化だね.

 あたらしい憲法のもとになる案は,平成24年(2012年)4月27日に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」(以下,憲法草案と略します)です.
 みなさんは,この憲法草案がどんなものかごぞんじでしょうか.よく知らないという人が多いのではないでしょうか.そんなことでは,いまのままの憲法がよいか,あたらしい憲法がよいのか,判断することができません.

うん,全くその通りだ.ちゃんと読み比べなくてはね.

 そこで、わたしたちも,70年近くまえの『あたらしい憲法のはなし』をみならって,『あたらしい憲法草案のはなし』をつくることにしたのです.
 わたしたちはこの草案をつくった人(起草者)ではありません。ですが、できるだけ草案をつくった人びとの気持ちによりそい、そこにこめられた理念や内容 をつたえたいと考えました。改正の意図がわからない点は自民党が出している資料などを参考にし、それでもわからないときは、起草者の身になって考え、ことばをおぎないました。

いやぁ,そうなんだ,どうしてそう変えようと思ったのか,さっぱりわからないところが沢山あるからね,
ありったけの想像力を駆使してもちょっと分かりかねることばかりだからね.

 憲法改正に賛成する人も,反対する人も,どうぞこの本をお読みください.この草案を考えた人びとが,どれほど強い,熱い思いをもって,あたらしい憲法をつくろうとしているかが,きっとおわかりになるでしょう.そのうえで,憲法を変えたほうがよいのかどうかを,しっかり考えてもらいたいと思います.

では目次を見てみよう.

  はじめに
1 憲法を変える理由
2 国民主権の縮小
3 戦争放棄の放棄
4 基本的人権の制限
5 強く美しい国へ
資料1 「あたらしい憲法のはなし」(抄録)
資料2 自民党憲法改正草案(現行憲法条文対照)

いやぁ,素晴らしい.
戦後70年,あの戦前の息苦しさを十分に取り戻しているこの国の
最後の総仕上げがこの草案というわけだ.

そして空気を読むことに長けた若者たちはより空気を読んで生きねばならない世界を望むんだね.
18~19歳「自民に投票」44% 本社調査 経済政策「評価」48% :日本経済新聞
www.nikkei.com

まぁ,真剣に考えて行動する同世代を「意識高い系」などと揶揄し,あるいは自虐する彼らだ.
人と違ったことを堂々と言う者達を鬱陶しく感じるのも想像に難くない.
ネット上いたる所で見られる若者によるSEALDS叩きはそんな空気の象徴だろう.
「列を乱すな!大人しくしていろ!」―これが日本の空気だ.
「ぜいたくは敵だ!」「一億総火の玉だ!」―あの時代から何も進歩していない.
国民精神総動員 - Wikipedia

そう.もう一度言うが,この国には結局,市民は育たなかった.
個人というものをその土台に据え,自分の頭で考え自分の言葉で話す市民は育たなかった.
戦後の学校教育は市民を育てられなかったのだ.
育ったのはひたすら空気読みに長けた大衆だけだった.
たとえ市民が育ちかけても,悉く「日本の空気」に呑みこまれていく国なのだ.
tokidoki.hatenablog.jp

戦後70年,リベラルな空気に抑圧されてきた日本会議のみなさん,おめでとう.
ようやく皆さんの目指す「良い子の国」新・大日本帝国の建国が間近となったのです.

tokidoki.hatenablog.jp

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)

日本会議 戦前回帰への情念 (集英社新書)

残念な国(9-a)―二度の世界大戦を忘れた人類,再びナショナリズムの嵐へ

タイトルは「残念な国」ではなく,「残念な人類」とすべきかもしれない.

本日,イギリス国民はEU離脱を選択した.
"Britain first!"と叫ぶ男に残留派のジョー・コックス議員が殺害されるという,
自分がイギリスに対して抱いているイメージからは違和感を感じる事件があった.
日本で言えば差し詰め「天皇陛下万歳!」だろうか.

残留派と離脱派についての面白いデータが有った.
"Education and EU referendum"というものだ.
つまりその人が受けた教育レベルと残留/離脱との関係だ.
これによればイギリス独立党を除く全ての各政党支持者の教育レベルが高いほど
残留を支持するという結果だ.
yougov.co.uk
教育レベルと年収には正の相関があることはよく知られた事実だが,
それを踏まえれば極自然な結果と言えよう.
不満層は移民排斥に流れやすい.「全てはあいつらのせいだ」と.
裏を返せば,高収入の層にとっては現状が良いはず,でもある.

一方,「トランプ大統領」が現実味を帯びてきたアメリカでは,こんな面白い動きがあった.
トランプが大統領になるくらいなら,アメリカを出たほうがマシだ,という.
www.afpbb.com
世界中から人を受け入れ,まさにそのことによって
世界中の頭脳もカネも集まった自由の国アメリカにおいて,
移民流入を防ぐ万里の壁「トランプ・ウォール」を作ると言っている.
(それもメキシコ負担で,ってところがちゃっかり.)

かのホーキング博士も
「最も低レベル層の大衆が支持する扇動政治家」なんて,
もう歯に衣着せぬ言いっぷり.因みに博士もEU残留派だ.
www.huffingtonpost.jp

フランスではパリでの連続テロの後,
ルペン氏が率いる「国民戦線」が支持を広げている.
www.newsweekjapan.jp

哲学の国ドイツでも極右政党AfDが躍進した.
gendai.ismedia.jp

遡ればハンガリーが近年,憲法改正を行ったのだが,
民主主義の危機として世界から批判を浴びている.
その憲法がまた,自民党,いや,日本会議が作った憲法草案に
目指すところが実によく似ている点は,特筆に値する.
newsphere.jp

こうして改めて見回すと,世界は理性を失いつつあるのがよく分かる.
経済が立ち行かなくなったとき,国が国としての形を保つためには,
つまり国を形づくる民衆をまとめ上げる最も安易な方法は,
「強い国家像を掲げるナショナリズム」であることは,
人類の歴史が幾度となく世界中の至る所で繰り返し示してきた.

21世紀になっても結局,その手法から人類は卒業できないでいる.

あるいは人間の寿命がわずか一世紀にも満たないこと,
そのことが人類の次なるステップを妨げているのかもしれない.
(だから人類の知的寿命を飛躍的に伸ばす一つの現実味のある方法が
 人工知能なんだと妄想しているが,その辺りは別の機会に.)

いずれにしても,人々の間にある経済格差はQOLの格差,特に教育格差を生み,
ひいては理性の格差を生んでいる.
イギリスを二分した今回の投票もこの理性格差の反映だとも見える.
その対立の構造は今や先進国の至る所で見られる.
もちろん我々の国も例外ではない.


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兎にも角にもトランプ氏曰く「強い,偉大なアメリカを再び」だそうだ.
おやおゃ~,どっかで聞いたフレーズだなぁ.


【自民党 新CM(30秒Ver.)】「日本を、取り戻す。」

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の全貌  知られざる巨大組織の実態

日本会議の全貌 知られざる巨大組織の実態

残念な国(8-b)―そして市民は育たなかった

前回の続き.
tokidoki.hatenablog.jp

自民党憲法草案,あるいは正確には「日本会議草案」である改憲案について.
日本会議 - Wikipedia

「みんな,良い子になろう!」という宣言書のような草案,
息苦しさと同時に腹立たしさを感じると前回書いた.
今回はその腹立たしさについて.

沢山のサイトで現憲法と草案との比較をしている.例えば↓
satlaws.web.fc2.com

前文においても個人の基本的人権のウエイトがぐっと下がった書きぶりだったが,
個々の条文においても「個人」の「個」が徹底的に消されている.
典型的なのが13条だ.

【現憲法】
第13条
すべて国民は,個人として尊重される.
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,
立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする.


【草案】
第13条(人としての尊重等)
全て国民は,人として尊重される.
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公益及び公の秩序に反しない限り,
立法その他の国政の上で,最大限に尊重されなければならない.

なぜ「個人として」ではなく「人として」なのか.なぜ「個」を取り去る必要があるのか.
はて,「人として」とは?
例えば奴隷のように働く「ブラック○○」は「人として」だとOKになるんじゃないか?
今だって社会風潮として「個人」としての権利が剥奪されているような労働環境に,
丁度いい口実を与えてしまうのではないだろうか?
何より「個人」を「人」にしてしまえば,「個人」の概念の確立したヨーロッパと異なり,
この国の国民性を考えると,あっという間に日本の個人は社会に呑みこまれてしまうだろう.
(それは「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」とか「進め一億火の玉だ」とかやっていた,
「国民精神総動員」が施行されたとき,率先して国民が行動した戦前・戦中を思えば想像に難くない.
 いや,今だって「○○バッシング」はネットの上で,マスコミの上で様々に行われている.
 何しろ,「右向け右」の国民性は変わっていないのだから.)

「行き過ぎた個人主義への反省」という一見穏やかに聞こえる見解が草案に対するQ&Aに見られる.
「個人として尊重される」ことを根拠に際限ない個人的な権利主張がこの国本来の社会風土を変え,
核家族化,あるいは少子化を招き,プライバシー権の下,
地域社会の崩壊をはじめとする人々のつながりが断ち切られていった,
といった論調の議論がなされる.
そしてこの行き過ぎた個人主義を抑えるべく,12条でこんな文言が入っていた.

【現憲法】
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,
これを保持しなければならない.
又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ.


【草案】
第12条(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力により,保持されなければならない.
国民は,これを濫用してはならず,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し,
常に公益及び公の秩序に反してはならない.

「公の秩序に反してはならない」
息苦しくはないだろうか?いや,むしろ怖くないだろうか?
憲法にこれを書くということは,「公の秩序」の名の下,我々を縛る法案が作りやすくなるということだ.
たとえ草案を作った当人等に縛る気が無いのだとしても,だ.
先に述べた「国民精神総動員」は当時の「公の秩序」として働いたのではなかろうか?

それにしても,なぜ「学級目標」のような草案になっているのだろう?
「良い子でいなさい.そうすればあなたの自由や権利は奪わないから.」
それはつまるところ,「個人」の概念の根底にあるヨーロッパ思想に基づく「天賦人権説」が
この国に根付かなかったことにあるのかもしれない.
いや,正確に言えばこの国は「国民」あるいは「大衆」を育てはしたものの,
「市民」を育てようとはしてこなかったことが真の原因のように思える.
すなわちこの国の主権者としての「自立性」「公共性」「能動性」を持った市民として,である.
(たとえば選挙の投票率の低さを思い出そう.)

よくテレビドラマなどでの「勉強シーン」として歴史の年代をゴロで暗記したり,
方程式を解いたり,英単語をつらつら書き連ねたり,といったことをやるのだが,
「勉強とはああいった作業のことだ」と多くの人々が信じているから成り立つシーンだ.
けれど例えば年代を覚えることが重要なんじゃない.
その時代に何が起こり,その結果人々はどう動いたのか,
そのことから現代の我々は何を学べるのか,それが重要なのであって,
年代はあくまで歴史の順序を把握するための物差しに過ぎない.
年代をすらすら答えられると,さも優秀な人間のように描写されるが,
鎌倉幕府ができたことは日本の歴史上どんな意義があったのか説明でき,
あるいは今日の我々にどんな影響を与えたのか解釈できるほうがはるかに優秀だ.
(因みに昔は1192(イイクニツクロウ)だった年号がこの頃は1185(イイハコツクロウ)に変わったそうだ.
 ほらね,だから年号は物差しに過ぎないんだって.)

つまり戦後世代を受験戦争に駆り立て,「○ or ×」の競争に明け暮れているうちに,
すっかり「自立性」や「能動性」を失った大衆ができあがる,という仕組みなわけだ.
今や(政治家も含めて)社会全体が「学校化」している.
かつては与党内野党があって政治的緊張感の中,
上手く党内のバランスを取りながら行われていた自民党の政治だったが,
今やトップの意向一色となり,やはり「学校化」しているように思う.
そうして振り返ってみると,果たして国に「市民」を育てる気があったのだろうか,と疑ってしまう.
ともすると「市民」が育たぬように組織的に仕組まれてきたのでは,などとも.

日本会議の人たちはほくそ笑んでいるのかもしれない.
「戦後70年間,アメリカの言うとおり自由にしてやったじゃない.
 でも結果,国民がルールを守らず権利ばかり主張するロクでもない国になったでしょ.
 やっぱりこの国にはこの国のやり方があるの.
 天皇陛下を頂点に戴く,お国の為に皆が働く美しい国に戻りましょう.」


敗戦と同時に掌を返すようにアメリカナイズしていったこの国で(ほら右向け右でしょ),
虎視眈々と復活の時期を窺ってきた巨大な政治思想団体「日本会議」.
例えば私的に参拝すればよいものをわざわざ閣僚として参拝を続ける靖国問題.
何故この国最大の不幸を招いたA級戦犯が合祀された場所へ出向くのか.
国策によって亡くなった人々を弔うだけなのなら,何故,分祀しないのか.
この政治思想団体「日本会議」に,
今なお安倍首相をはじめとする現閣僚の3/4が属していることを考えれば,
これ以上何の説明もいらないだろう.
安倍首相の顔写真ともに「日本を取り戻す」と書かれた自民党ポスターがあった.
けれど彼らの云う「日本」とは「日本会議」が思い描く「日本」だ.
そしてそれは太古の日本ではなく,明治以降の「大日本帝国」である.
個人の基本的人権より国家の存在が優先されたあの国なのだ.

草案の第98条には「緊急事態条項」が新設される.
「緊急事態条項」が現憲法に無いから,災害時の初動が上手くいかない,
といった真しやかな議論が主に日本会議の人びとによってなされ,
うっかり「そりゃそうだ」と納得する国民も少なくないと思う.
同様な論調と新しい世代の誤解による同調は
「安保法案」や「憲法九条」にまつわる議論でも行われている.
だからこのタイミングで首都直下や南海トラフなどの未曾有の大災害が起こったなら,
国民が冷静な判断のできないどさくさに紛れて,
「新・大日本帝国憲法」が成立してしまうのではないかと不安に思う.
そう,確かに市民は育たなかった,その結末として.
webronza.asahi.com


最後に,日本会議トップによる「天皇陛下万歳」をお聞きいただこう.
皆は何を思うだろうか?

日本会議名誉会長・元最高裁判所長官・三好達による「天皇陛下万歳」(2016年2月11日)
www.nipponkaigi.org

「美しい国」という国家像を打ち出す安倍内閣.
でもその背後には大日本帝国へのノスタルジーに浸る政治思想団体がある.

一つ言えるのは「何を美しいと思うか,の自由」が保証されない国は
美しくない,ということだ.
f:id:okiraku894:20160409104102j:plain:w600
SONY ILCE-6000+Vario-Tessar T* E16-70mm F4 ZA OSS,
Lightroomにて現像

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

残念な国(8-a)―「良い子」の国,ニッポン!

ここ数年,ずっと懸念している政府与党による改憲への水面下の動き.
きっと気付いたら国民全員が賛同しているという流れにされてしまうのだろう.
皇国史観に基づく日本会議という実質的にこの国を動かしている大組織は,
丁度戦前でいうところの大政翼賛会さながらの働きをするのだろう.
現に手始めとして国民の目の前で憲法解釈の変更を一内閣内で行ってしまったのは記憶に新しい.
安保法案の中身がどうのこうの,ということではない.
重要なのは,権力者(政府)が権威者(国民)の眼前で憲法による権力制限の枠組みを巧みに逸脱してみせた,
その前例を作ったということ,その一点だ.
この国は立憲主義ではないことを明確な形で内外に発信した,ということだ.
(もちろん,自国を自力で守る仕組みがない稀有な国だという見られ方をされているなら,
 海外からは今回の一件は特別なことには見えないのかもしれないが.)

昨年の事件以来,改憲への国民の注目度は高くなっただろう.
(というのも,元来ノンポリな自分ですら危惧するようになったのだから.)
そして,自民党内で議論されてきた自民党憲法改正案にも当然注目が行くこととなる.
読んだことのない人は是非,前文だけでも見て欲しい.
自民党憲法改正案
# 正確には「日本会議草案」と呼ぶのが相応しいだろう.

自分は一読したとき,息苦しさと腹立たしさを感じざるを得なかった.
そしてどう言ったらいいのだろう,丁度夏休みの宿題で読書感想文を書かねばならず,
しかし書けないものだから,他人がかつて書いて優秀賞をもらったその作品の読書感想文を手本に,
それを参考にしたとを分からないようにするために省略したり,
オリジナリティーを無理に出そうとしたり,という稚拙さを感じる.
何より憲法とは人類の英知の歴史を刻み込んだものである,という深い認識や,
人類共通の普遍的な目標への敬意や畏れも「省略」によって削がれてしまった.
国としてではなく,人類として最も大切にすべき視点をこの改憲案は明らかに欠いている.
いや,むしろ皇国史観に基づくなら自然とこういう書きぶりになるのだろう.

さて,この草案によればまず,日本国民たるものは「良い子」でなくてはならないらしい.

日本国民は,国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り,基本的人権を尊重するとともに,
和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する.

我々は,自由と規律を重んじ,美しい国土と自然環境を守りつつ,
教育や科学技術を振興し,活力ある経済活動を通じて国を成長させる.

(自民党憲法改正案・前文より)

つまり,新しい憲法はクラス児童が従うべき学級目標なのだね.
そしてこの目標に従わない児童は,この目標の名のもとに叱られるわけだ.
そしてこのような国民への罰則規定を無数に生み出す書きぶりは,草案の至る所に見られる.
実際,草案第102条1項には「憲法尊重擁護義務」が掲げられた.あ~ぁ.

第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は,この憲法を尊重しなければならない.
2 国会議員,国務大臣,裁判官その他の公務員は,この憲法を擁護する義務を負う.
(自民党憲法改正案より)

因みに現行憲法ではどうか.対応する箇所は第99条だ.

第99条
天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ.
(日本国憲法)

現行憲法には国民への遵守義務が書かれていないのに対し,
自民党草案では権力機関よりも先の項目として国民の憲法順守義務が書かれている.
この時点で,自民党,いや日本会議が作っているモノは憲法ではないことが分かる.
先に述べたように,立憲主義に基づく憲法とは国家権力を制限するものなのだから,
自民党草案のベクトルは真逆だ.もう一度書こう.
現行憲法は国民が遵守するものとしてあるのではなく,権力者たる国が遵守するものだ.
更には権力者が侵してはならない我々主権者の権利を明確に規定するものだ.
これこそが憲法というものがあらゆる法律の前に存在する理由だったはずだ.
権力者である国がその力を制限する憲法に従う,という約束があって初めて,
主権者である我々国民は国が定める法律に従うことにしているのだから.

おやおや,更によく見ると待てよ.現行憲法には入っていた「天皇又は摂政」が
草案では省かれている.この文言削除も,その他いたるところで見られる削除と同じく,
軍の暴走が引き起こしてしまった,大東亜戦争という過ちを二度と起こさぬよう,
二重に三重に言葉を重ねて,一部権力機関による暴走を未然に防ごうとしてきた
現行憲法の工夫と努力を骨抜きにしてしまうやり口なのだ.
(一方で草案の「国民」の義務に相当する部分では逆に二重三重に言葉が重ねられている.)
そうして更には草案第一章第一条に元首という文言が組み込まれた.

第1条(天皇)
天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,
その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく.
(自民党憲法改正案より)

引用を始めるとキリがないし,長くなる.
締め括りに草案と現行憲法の前文を並べて挙げておこう.
草案の前文は簡潔になったが,それは戦犯としての反省を早く忘れたい気持ちと,
(どれだけ時代が進んだとしても,先の大戦による荒廃と簡単にかわせるような軽いものだったろうか?)
したがって歴史的過ちから学ぶという重要なチャンネルを閉ざそうという明確な「意志」が,
逆に感じられてならない.
これはとても恐ろしいことだと思う.

自民党憲法草案 前文

日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって,
国民主権の下,立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される.
我が国は,先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し,
今や国際社会において重要な地位を占めており,
平和主義の下,諸外国との友好関係を増進し,世界の平和と繁栄に貢献する.
日本国民は,国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り,基本的人権を尊重するとともに,
和を尊び,家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する.
我々は,自由と規律を重んじ,美しい国土と自然環境を守りつつ,
教育や科学技術を振興し,活力ある経済活動を通じて国を成長させる.
日本国民は,良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため,ここに,この憲法を制定する.

まず「国」のことが書かれ,次に「天皇」が書かれ,そしてやっと「国民」の順だ.
しかもできるだけ目立たぬよう,「国民主権」の四字熟語に収められている.
代わりに増えた文言が日本「国」の固有性であり,位置付けであり,(対国民ではない)対外的役割である.
その記述が終わってから,それを踏まえた上での「国民」が果たす「べき」文言が続く.

どうだろう.さぁ,ニッポンのみんな,良い子になろう!ってことらしい.
深い人間的あるいは歴史的苦悩や,先人たちがそれこそ血と汗と涙の末に勝ち取ってきた,
おそらく全人類に普遍的な人間個人としての権利概念への畏敬の念が微塵も感じられない.
「友達と仲良くしましょう」「美しい国にしましょう」「みんな元気に頑張りましょう」
要するに先生がクラス運営を円滑に進めるために,天下りにこんな学級目標を掲げた,ということだ.
先生に従うことが大事だと信じてやまない児童たちには,さぞ分かりやすい目標だろう.
あるいは(政治家も含めた)一億総学校化社会に慣れ親しんできた現代日本人にとって,
端的に目標だけ掲げられた方が分かりやすく納得しやすい,ということか.
そしてこの「空気」から外れた者は先生に叱られたり諭されたりするわけだ.
(戦時中でいうところの「非国民」というやつだね.)

何と安上がりな学級目標,そして何という息苦しいクラス.
つくづく残念な国に成り下がってしまったものだ.


さて,ではいよいよ現行の憲法前文を掲げよう.
そこにはまず「国民」のことが書かれ,主権が国民にあることを丁寧に,
かつその権利が再び国に奪われることの無きよう注意深く重ねて記述し,
その考え方の根拠を歴史認識と人類が普遍的に目指すべきであろう原理原則に求めている.
この憲法は人類が共通に抱くであろう素朴な願いから出発している.
だからこそ心動かされ,この憲法を誰もが納得し,護ろうとし,
その願いに向けての努力を人々が自発的に起こそうとするのではなかろうか.
こういった発想ができるのも,「国」より先にまず「個人」が有るのだという
現行憲法を貫く哲学があるからなのだ.

「戦勝国による押し付け憲法だ」などという幼稚な反発のもと,
軽々しく「日本国」の固有性を謳う学級目標憲法とは次元が違うのだ.

日本国憲法 前文

日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,
われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,
ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する.
そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,
その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する.
これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである.
われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する.
日本国民は,恒久の平和を念願し,
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,
われらの安全と生存を保持しようと決意した.
われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ.
われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,
平和のうちに生存する権利を有することを確認する.
われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,
政治道徳の法則は,普遍的なものであり,
この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる.
日本国民は,国家の名誉にかけ,
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ.

 山は樹を以て茂り
 国は人を以て盛なり
       吉田 松陰

個人の存在根拠を国が認めないのなら,やがてその国は亡ぶと思う.

まいばん星たちが
夜空でささやいていることを
だれもが忘れないでいて
こどもが見る夢は
いつだって楽しくて
道ばたのたんぽぽのように
いっしょうけんめい生きることに
だれもがよろこびを感じられる

そんな国であって欲しい

私信 2003/04/02 より

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残念な国(7)―そして過去への扉も閉ざされたなら

まず初めに,講義「統計とコンピュータ」で本年度の3年生102人から得たあるデータを紹介しよう.
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これはひと月平均本を何冊読むか?に対する結果だ.
(Google formによる調査はこんなふうにその場でグラフにまでしてくれて便利だ.)
因みに中央値は0.1冊とも教えてくれた.つまり,ほとんどが「全く読まない」ということだ.

自分が属しているのは数学教育の講座で,だから自称「理系」の学生らが集まる学科である.
赴任した頃の十数年前でも,教育学部であるにもかかわらず「本を読まない」,
正確には「本が読めない」学生が少なからずいたことは知っていた.
そんな彼らが一体どんな顔をして子どもたちに読書を勧め,習慣化させるのか
当時から不思議でならなかったことを思い出した.
(そういえばその当時,「国語のできない文系」などといって学生を揶揄していたものだ.)
そして現在,改めて調査をしてみると予想はしていたものの,愕然とする結果となった.

今日は講座で行っている教員採用試験の為の面接練習会に面接官役として出たわけだが,
どうやら戦後の昭和の言葉すら通じなくなってきている事態にあることに改めて直面した次第.
本日通じなかったのは「困ったときはお互い様」そして「卆なく答える」.
いずれも良い意味なのか悪い意味なのか,といったニュアンスそのものが分からなかったらしい.
(そして実は前者の言い回しは最近30代の同僚にも使ったことを思い出し,
 ひょっとするとニュアンスを間違って取られているかもしれない,
 などと面接練習中に密かにゾッとしていた.いや,杞憂に過ぎないだろうが.)
もちろん,言葉は生き物であるし,時代と共に変わってしまう宿命にあることは承知しているつもりだ.
自分だって自分よりずっと上の年代からすればヘンテコな日本語を使っているのだろう.

例えば「全然」という副詞.
「全然大丈夫」なる表現は二度折れ曲がって間違いでもないともいえる.
かつてこの熟語が中国から輸入されたとき,それは「全く」の意味だったそうだ.確かに字義通り.
漱石の時代でも「君の意見に全然同意するよ」などと言っていた.
それが戦後教育の中で「全然」は否定語の前につけるが正しい,としてきたのだそうだ.
そしていつの時代も古いモノを壊して遊ぶのが若い世代の特性であって,
言葉もわざと前時代では間違ったとされる使い方を敢えてする.
「全然だめだ」という言い方に慣れた人々の中,
「全然いける」などと言ってその若干の違和感を楽しむ.
そうやって遊んでいるうちに「全然」が「とても」の意味に解釈され始め,
「全然楽しい」などと使うようになる.
こういった変遷は言葉遊びから来るもので,ライブ感があって楽しい.
しかし一方で,「~することができる」の多用には,
現代日本のひずみ,あるいは病いが垣間見える,というのが持論だ.
tokidoki.hatenablog.jp
(その他気になっている言葉は多数ある.
 政治家が使う「粛々と」「説明する」「しっかりと」,
 また一般人がしきりにつかう「させていただく」,「意識高い系」の自虐的使用,
 そしてすっかり浸透した「癒し」や「感動した」の安易な使用.
 いつかこの辺りのことも書きたいけれど,まだ醸造中だ.)

話が逸れた.「本が読めない」教育学部の学生のことだった.
この事態は世間が言う「若者が本を読まない」を問題と捉えることとは
少々質的に違うように感じる.というのもそこに「教育学部の」がつくからだ.
教育現場はやはり"生き物"であるし,
目まぐるしく変わる事態への俊敏な対応が常に迫られる.
けれど一方では,人類が(とまでは行かずとも先人が)歩いてきた道を
生き生きと伝える場でなくてはなるまい.
つまり教育現場は子どもの目を過去と未来,両方に拓かせるはずの場所だ.
教育現場における不易流行,あるいはもっとシンプルに温故知新だ.
(もちろん教育現場だけがその責務を負う,という訳ではないものの,
 地域共同体がすっかり壊れてしまった現代―だから「お互い様」が分からなかったのか―
 やはり最後の砦としての役割は大きい.)
その一方の扉であるはずの書物をやがて現場教員となる学生が「読めない」となると,
教員自身,先人の叡智を持たぬまま,まる裸で現代と闘うに等しく,
同時に眼前の子どもたちにも根っこの無い知識を切り売りして過ごすことになる.
こうして歴史を持たない子どもたちが拡大再生産されていくわけだ.
そしてこの事実は日本国民の,
真の意味での個人の確立と市民への成長を大いに妨げてきたのだと思う.
(この点については,「個人」の概念そのものを条文から消し去ろうとしている,
 "腹立たしい"自民党憲法草案へ話はつながるのだけど,これもまたいずれ.)

さて.ひたすら場の空気だけを読んでそれこそ「卆なく」その日暮らしをする世代.
昭和言葉(もう大和言葉まで遡ることもできない)ですら通じにくくなっているのは,
地域共同体が壊れたことと同時に,やはり少し前の本を読まないからだと単純に思う.
例えばではあるが,2chをはじめとするネットスラングの世界は,
始めた側にとってはフィネガンズ・ウェイクばりの言葉遊びだったのだろうけど,
多感な時期にずっとそういった「崩した/壊した」言葉に囲まれて育った世代が増えるとき,
しかもその文化の変遷は数年単位で起こる故,
彼らの智慧の基盤はとても脆弱なものとならざるを得ない.

時代とはいえ,それにしてもね.
「最終的に立ち戻る場所がYahoo!の知恵袋のみ」という教員には
やっぱり教わりたくないなぁ...

祖国とは国語(新潮文庫)

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因みに↑の著者は数学者.
藤原先生のデビュー作「若き数学者のアメリカ」を読んだ,ネット社会未明の時代が懐かしい.
若き数学者のアメリカ (1977年)

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