珍しく夜、A先生と夕食。
そこでちょいと話題になったのが、
ここの学生は「分からないこと」に対する耐性がとても弱い、ということ。
もちろん、もともと数学が無茶苦茶好きで入ってくる学生がいない、
というより先生になりたくてこの大学に入ってくるわけで、仕方ないのだけど。
「分からないことがあると、途端に騒ぎ出す。」
そうA先生は言っていたが、確かにその通り。
騒ぐのは受験勉強をそれなりに卒なくこなしてきた、
いわゆる「優等生」が多いと想像する。
しかし大学で学ぼうとしているものは学問なんだ。
学問となるとそんなスマートなものじゃない。
地を這うような泥臭い無数の無駄な作業の果てに
やっと小さな真理が落ちている「かもしれない」類のものだ、と思う。
受験勉強や試験対策の勉強しか知らない学生にとって、
解答がない、というのは相当気持ちの悪いものなのだろう。
そういえば塾で十数年教えていた頃、ろくに考えもせずすぐ答えを知りたがる生徒が、
年々増えていったことを思い出した。
分からないことを分からないと受け止める。
分からないまま放り出すのではなく、しかし性急に解答を求めるのでもなく、
じっくりと自分の中で答えが醸造されるのを待つ。
おおらかなスタンスで問題と忍耐強く付き合う。
そんな経験を幾らかでもした学生が教育現場に向かうなら
日本の数学教育の風土も多少は変わるかな、と思った次第。