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自律的学習と知的自立

先週,今週と,教育実習生の研究授業の観察に行っている.
学校によって,地域によって,環境によって,教育は様々だ.
しかし程度の差こそあれ,「自律的な学習力」を育てようと各学校が頑張っている点は共通している.
なぜなら,教育の本分は,それを受けた者が最終的には自分自身の力で,
この複雑で不確定な社会を生き抜いていくための,
そしてできれば人間的に豊かに生きていけるようにするための,
智慧と力を育てることにあるからだ.
したがって教師というものは,
教え子たちがいつか自分自身の力で立派に生きている姿を思い描き,
実際にそうなった暁には遠くからその姿を誇りに思い,また喜ぶ存在であるはずだ.


そして,この大学はそういった教育を将来担う主体である,教師を育てる場所だ.
少なくともそれがこの大学の第一義的な存在理由であることを忘れてはならない.
彼ら学生が教壇に立ったとき,子供たちの「自律的学習力」を育てられるか否か,
それは他ならぬ学生自身がどれだけ自律的な学習を経験してきたか,にかかっている.
実際,経験したことのないことは真の意味で伝えようがない.
その点では,かつて私自身,中学時代に大学附属の
ある種実験的な教育環境で教育を受けたことは
何事にも代え難い経験だったと今更ながら思う.


しかし現実は厳しい.
実際この大学に入ってくる学生は,ある意味「優等生」,
つまり,そつなくそれなりの点数を取って入学を許可された者達だ.
あれだけセンター試験のウェイトが大きければ致し方ない.
そして高得点を取るだけなら,自律的な学習経験など無くてもそれが可能なのだ.
だから,自律的に学んだ経験のない学生が実に多い.
分かりやすく言えば「点数を取ること」「単位を取ること」が学習の目的だと心底思っている.
それは断じて目標ではなく,学習の通過点の一つに過ぎない,のに.


その結果,いつまでたっても「知的な自立」が起こらない.
つまり,「誰々先生がそう言ってたから.」「テキストにそう書いてあったから.」
あるいは「wikiにそう書いてあったから.」で学習が終わってしまう.
それらは考えるきっかけであるだけで,
もう一度自分の中で反芻あるいは再構成されない限り,
永遠に本人の中で真理に成りはしない.
だが,この点については我々教員も日々反省しながら講義を進めなければならない.
学生が頭を使う前に,何でもかんでも教えすぎてしまわぬよう,気を付けるべきだ.
まして,徹底的に統制的な講義,教育的意義を明確にしないままの,
あるいは講義の本質とは全く無関係で過度なプレッシャーを与えるような,
いわば「軍事教練」のような講義を展開されれば,
どうしたって学生が知的に自立できるわけがない.
こうなるともう教育ですらなく,体の良い「洗脳」だ.アカデミックな場で行われてはならない.
我々の目標とすべきところは学生一人一人の知的自立なのだから.


さてところで,先ほど述べた「点数を取ることが目標である」という学習についての
そういった学生の「信念」を変えさせられる可能性のある最後の砦が,
我々教育大学に在籍する教員だと自負している.
だから,どうしたら彼らに「自律的な学習経験」をさせられるのか,という大問題が
常に頭をもたげてくる.
また一方で彼らの目には,大学での学びが全く教育現場で役立たないことばかりだ,
と映っていることも自律的な学習につながらない大きな要因だ.
特に数学については,高校までの内容で十分だ,と本気で思っている.
だから我々大学教員,特に教科内容を教える者は,
この学習上の問題に相当敏感でなくてはならない.
如何にして自発的な学習動機を彼らの中に発現させるか.
「数学という頭の使い方」がどれほど人生を豊かにするか,
それは数学を生業としている者が最も良く経験しているはずで,
だからそれを何とか伝えたい,とジタバタしてしまう.


長くなりすぎた.最近つくづく共感した名著から言葉を2つ紹介.

人はみな,自己原因性を求めている,
つまり,人は自分自身の行動の源泉でありたいと願っている.
(Richard deCharmsの考え/第3章「自律を求めて」p39)

人には,自分の自律性あるいは自己決定の感覚―ド・シャームが自己原因性と呼んだ感覚―
を経験したいという生得的な内発的欲求があると思われる.
このことを言い換えるなら,
人は自らの行動を外的な要因によって強制されるのではなく
自分自身で選んだと感じる必要があるし,
行動を始める原因が外部にあるのではなく内部にあると思う必要がある,
ということである.
(第3章「自律を求めて」p40)

いずれも,↓の本から.

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ