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人の目は前にしかついていないから

自分が正しいことをしていると確信している人間くらい
騙しやすい相手はいないと牛河はあらためて思った.
1Q84 book 3 p82/村上春樹

とあるFD(大学の先生が教育改善のために行う勉強会のようなもの)でのことだ.
新しい教養科目の講義の方向性について,いくつかの教育グループごとに
発表を行ったわけなんだが,我々の関係する理数系も内容を発表し,
その後,質疑が行われた.で,その中のひとつから.
「私のような純文系の者からすると,
  講義内容についてちょっと敷居が高く感じられます.
  教養科目は文系も理系も受けるので,
  現実的な社会問題とリンクさせたトピックを入れてもらえると,
  ピンとくると思います.」
要するに,
見た目からして理系的すぎるので,文系でも分かるようなトピックを入れて欲しい,
といったところだろうか.


う〜ん.危惧するところは確かに分かるのだが,
何だかこの発言には異様な違和感を感じてならなかった.
どうしても「私は文系なので,理系の話は分かりません.」と宣言しているようで,
初めっから受け入れ拒否をしているように聞こえて仕方ない.
あるいは,学生時代によほど理数科目で嫌な思いをしてきたのだろうか.
大体,社会問題とリンクさせたところでピンとくる,という発想自体が,
「それだったら聞いたことがある話だから,多少は分かるので面白くなる」
という,如何にもつまみ食い的で表面だけなぞって分かった気にさせる,
なんちゃって本のノリだ.


いや,言わんとする所は分かるんだ.
十分な下準備もないまま延々と数式や化学式や科学用語が出てくる講義など,
門外漢には耐えられないものだろうことは.
だからそこを出来るだけ緩和すべく理系教員は創意工夫しているところなんだ.
全く話を聞いて貰えない状況をよく体験してるから.
だから多くの学生が飛びつきそうな話題をそれなりに探して,
試行錯誤,悪戦苦闘しているんだ.
しかしそれだけじゃ,単なる演し物に過ぎず,
演し物が終わったら急速に興味を失って耳を塞ぐようなら,
何時まで経っても本当に伝えるべき「科学する心」に辿りつけない.
聞く側に「科学を知りたい」という気持ちの助けがないと
教員側の努力だけでは超えられない,それはそれは高い壁がある.
しかし何だか先ほどの発言は,どこか理科系教育被害者的なニュアンスがして,
なんだ,知的な面では普通の人より開けて(拓けて)いるであろう大学教員でも
そんな反応をするものなのか,と半ば唖然とした.


「わたし文系なんで,文系にも分かるように話して下さい.」
何故かこうして理系は悪者になる,何時だって理系は逆に迫害に合う.
FDの前半は文系科目の発表だったんだが,
何だか文系の小研究会のような質疑応答でさっぱりだったよ.
上記の発言が許されるのなら,こう言いたかった.
「わたし理系なんで,理系にも分かるように簡潔に話して下さい.
  何だったら数式使っても良いので.」

学生の理解を重視する大学授業 (高等教育シリーズ)

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