↓これ,なんだか分かるかい?
そう,物によっては3か月以上余裕があったにも拘らず,
〆切ギリギリに提出された課題の地層だ.
左の山から順にC組>B組>A組のレポートとなっている.
A組が一番少ないのは予想通りだが,意外にもC組がmax.
そこにあった,「圏論の基礎」と比べてみよう.ほらね,ピッタリだ!
これを「不毛の地層」と呼ぼう!!
って,何してるんだか.
非常に頑張って事細かに議論した結果のレポートを出す学生がいる一方で,
他人のレポート,しかも元が間違っていても分からず丸写ししての提出,お疲れ.
そんな(後者の)単位さえ揃えば良いという君たちに
力いっぱい言いたい.
己の学びすら大切にできない者が
子どもの学びを大切にできるものか.
言いたいのだけど,当人たちの前では言わない.
というより,どうやら言う権利を我々教員側が持っていないと思うからだ.
我々教員側が本当に学生の学びを大切にしているのか,この頃はあまりに疑わしい.
自己満足の為に,あるいは学生を脅しすかし自分に都合良く学生を扇動する,
およそ教育,いや,学びからは程遠い行為が幅を利かせてきている.
グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」だ.
入りたての学生と初年次教育で向き合うと,
やはり教育大学を目指してきただけあって,
真摯に学びに向き合おうとしている学生は予想外に多いことに気付く.
だからこそ↓のようなことをやっちゃアカンのだ.
振り返るとここ数年ずっとこの事態に危機を感じ繰り返しここで取り上げてきた.
The genocide of Learning(1) - 遊び tokidoki 仕事
The genocide of Learning(2) - 遊び tokidoki 仕事
Hominis Dignitati - 遊び tokidoki 仕事
知的自立,ということ - 遊び tokidoki 仕事
自律的学習と知的自立 - 遊び tokidoki 仕事
教育に飼い慣らされてきた彼らを,真の意味で学びに誘うには,
我々大学教員はあくまで触媒に徹するべきなのだ.知あるいは叡智への触媒に.
叡智の前では教員も学生も無い.知の前ではみな等しく,
学びの徒なる者,知に対する畏敬の念を忘れてはならないのだ.*1
と,ここまで書いてきて,丁度1年前も同じようにボヤいてたことに気付く.
進歩ねぇなぁ...お互い.
- 作者: エドワード・L.デシ,リチャードフラスト,桜井茂男
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*1:まして例えば「自分は定理を幾つ発見した」などと学生の前で自慢するなど,おこがましい限り.学者の風上に置けないのは言うまでもなかろう.