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消えゆく知的たくましさ

知的たくましさ.この国から絶滅しつつあるもののひとつ.
この感覚は塾で教えていた14,5年前ぐらいから感じていたこと.
「教わってないから分かりません」が共通の反応.
この危機感はまだ非常勤でここに勤めていた頃に書いた,
共通科目研究交流誌への投稿論文*1にもある.
それはまた,「今,教わっているものを疑うこと」など夢にも思わない状態,
目を開けたまま白昼夢をみているようなものだ.

今年も主免実習の研究授業を見てきた.
10年前の赴任当初見てきた研究授業と明らかに雰囲気が変わってきた.
その昔なら,「愛教大生なら大丈夫」と受入れ前から実習先に太鼓判を押され,
出来は悪いが一も二もなく子どもたちが大好きでどんどん中に入っていった学生たちだった.

子どもたちとどう接したらいいか分からない.子どもの目を見て話せない.
声が小さい,話していることが伝わらない...
実習先の校長先生から口をそろえてこの頃は指摘される.
教採の願書に書くことを作るため,などという外発的理由ではなく,
何が何でも教育者になりたいから,という純粋に内発的な理由によって
教育ボランティアに携わる学生も随分減った.

いや,どんどん話がずれてしまう.書きたかったのは知的たくましさ.

小学5年生向けの研究授業で,平行四辺形の面積の求め方を
子どもたちが実際に方眼紙を切って考えていく授業,という設定だった.
教科書の提案通り,絵に描いたように4つのアイディアが子どもたちから出されてそこで終了.
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もう,なんとも静かな授業で,研究授業としてのことを差し引いても,う~ん.
この絵に描いたような授業のどこに知的刺激があるのだろう.
もう少しだけでも教育マインドがあったなら,
あるいはかつての当大学の学生らしい教育へのこだわりがあったなら,
教科書からはみ出した試みも行っていただろう.例えば,
「先生,こうやって切ってみたんだけど,これで求まるかな?」とか.
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あるいは,縦に細長い平行四辺形も配った方眼紙に混ぜておくとか.
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こうなると,長方形に直そうとする試みはなかなかうまくいかないことを
子どもたちは経験する.そして,どんな平行四辺形でも可能な方法を
試行錯誤で導いていくことになる.
(その場に紙とはさみがあるので実際に色々することだろう.)

まさに,こういった部分が教育への想像であり,教育の創造なんじゃないだろうか.
でなければ,先生なんていらない.ビデオ学習で十分じゃないか.
言われたことを右から左にこなすことが勉強の全てだと思ってるようじゃ何も始まらない.
やはり先生自身が知的たくましさを持ってなければ無理なんだ.
そしてテストで高得点を取ることとはリンクしてないんだな,これが.

しかしなぁ,どんどん消えて行ってるんだよ,知的たくましさが.

*1:「文化としての数理科学/いかに広く伝えるか」教養と教育. 2001, 創刊号, p. 127-132.