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今そこにある能力

小保方氏の発見は「外部からの刺激のみでは万能細胞にはならない」
という生物学の定説を覆したという意味でも画期的だったそうだ.
全く門外漢なので,相当間違った表現をしているかもしれないが,
その発見はiPS細胞など外部から組み込む*1やり方ではなく,
細胞にストレスを与える(具体的には弱酸に浸す)ことで,
細胞が本来持っていた能力を引き出すやり方,というように見える.
そしてiPS細胞の成功率1%程度に比べ,STAP細胞は成功率7,8%.
山中氏のiPS細胞と小保方氏のSTAP細胞を並べると,
「能力を組み込む」方法と「能力を引き出す」方法のようにも思えるのだが,
これを教育に置き換えてみればとても興味深い現象を表しているように思う.


いや,細胞生物学上の重大な発見をここで引用するのは全く見当違いなことだと
十分承知の上で書いてみるのだが,
その子が好むと好まざるに関わらず知識を機械的に「植え付ける」
教育システムの成功率,すなわち「その教育システムの目的」達成率と,
その子が必要性に迫られて自発的に学ぶ学習システムの成功率
すなわち「その子自身が必要としている能力」の発現率の差を見ているように感じる.
実際,子ども自身が「そうすることに意義を見出せない」ときの教育効果の低さは,
人にものを教えたことのある人なら誰でも繰り返し経験していることだろう.
そうしてやはり浮かび上がってくるのが「自己原因性」という考え方だ.
おそらく如何なる教育者も,
如何にして各子どもたちに自己原因性を感じさせて学習に向かわせるか,
すなわち,各個人が「それぞれに」学びたいと感じる環境をどうやって作るか,
そのことに最大限心を砕くべきだと自分は感じている.
この点を抜きにした「教え方論」はどんなに高度であっても,
人間成長の根本的な部分では何ら力を持たない.


さて,大風呂敷を広げたところで,今年度の卒論の出来はどうか?
今回は特にこの「自己原因性」を常々意識しながら進めたこともあって,
本当に各々の自由に任せた.
バイトもサークルも「自己責任」として彼らの成すがまま.
結果,遥か彼方まで卒論を書き進めたゼミ生もいた一方で,
最後の最後まで研究活動にならず,「お客さん」になったゼミ生もできた.
自由に学べる環境を意識的に利用したか,それとも逃げ出したか,
の違いだとも云える.
一方で,STAP細胞ではないが,何らかの有効な「ストレス」あるいは外的誘因を
もっと早期に与えることはできたかもしれない,とも反省している.
まぁ何はともあれ,何とか今年の卒論提出も終わった.
卒論タイトルを並べておこう.(順に意味は無い!)

  • 組み合わせゲームの研究

「このゲームには必勝法がある. 」―グランディー数による組合せゲームの分析―

詰まらない話―渋滞の素朴な数理モデルによる解析―

  • ζ関数大好きっ子

Product Xオイラー積表示をめぐって―

  • 音と数学

名前のない音,ドンな音?―膜の方程式からドラムのフーリエ解析まで―

  • 音楽と数論

ピタゴラスの主題による変奏曲―音律と音階に現れる数論的現象―

スーパーひとし君のコード不思議発見― 暗号と量子コンピュータ



人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

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*1:という言い方は間違いかもしれない.「導入」という表現をしているから.