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残念な国(8-b)―そして市民は育たなかった

前回の続き.
tokidoki.hatenablog.jp

自民党憲法草案,あるいは正確には「日本会議草案」である改憲案について.
日本会議 - Wikipedia

「みんな,良い子になろう!」という宣言書のような草案,
息苦しさと同時に腹立たしさを感じると前回書いた.
今回はその腹立たしさについて.

沢山のサイトで現憲法と草案との比較をしている.例えば↓
satlaws.web.fc2.com

前文においても個人の基本的人権のウエイトがぐっと下がった書きぶりだったが,
個々の条文においても「個人」の「個」が徹底的に消されている.
典型的なのが13条だ.

【現憲法】
第13条
すべて国民は,個人として尊重される.
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,
立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする.


【草案】
第13条(人としての尊重等)
全て国民は,人として尊重される.
生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公益及び公の秩序に反しない限り,
立法その他の国政の上で,最大限に尊重されなければならない.

なぜ「個人として」ではなく「人として」なのか.なぜ「個」を取り去る必要があるのか.
はて,「人として」とは?
例えば奴隷のように働く「ブラック○○」は「人として」だとOKになるんじゃないか?
今だって社会風潮として「個人」としての権利が剥奪されているような労働環境に,
丁度いい口実を与えてしまうのではないだろうか?
何より「個人」を「人」にしてしまえば,「個人」の概念の確立したヨーロッパと異なり,
この国の国民性を考えると,あっという間に日本の個人は社会に呑みこまれてしまうだろう.
(それは「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」とか「進め一億火の玉だ」とかやっていた,
「国民精神総動員」が施行されたとき,率先して国民が行動した戦前・戦中を思えば想像に難くない.
 いや,今だって「○○バッシング」はネットの上で,マスコミの上で様々に行われている.
 何しろ,「右向け右」の国民性は変わっていないのだから.)

「行き過ぎた個人主義への反省」という一見穏やかに聞こえる見解が草案に対するQ&Aに見られる.
「個人として尊重される」ことを根拠に際限ない個人的な権利主張がこの国本来の社会風土を変え,
核家族化,あるいは少子化を招き,プライバシー権の下,
地域社会の崩壊をはじめとする人々のつながりが断ち切られていった,
といった論調の議論がなされる.
そしてこの行き過ぎた個人主義を抑えるべく,12条でこんな文言が入っていた.

【現憲法】
第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,
これを保持しなければならない.
又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ.


【草案】
第12条(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力により,保持されなければならない.
国民は,これを濫用してはならず,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し,
常に公益及び公の秩序に反してはならない.

「公の秩序に反してはならない」
息苦しくはないだろうか?いや,むしろ怖くないだろうか?
憲法にこれを書くということは,「公の秩序」の名の下,我々を縛る法案が作りやすくなるということだ.
たとえ草案を作った当人等に縛る気が無いのだとしても,だ.
先に述べた「国民精神総動員」は当時の「公の秩序」として働いたのではなかろうか?

それにしても,なぜ「学級目標」のような草案になっているのだろう?
「良い子でいなさい.そうすればあなたの自由や権利は奪わないから.」
それはつまるところ,「個人」の概念の根底にあるヨーロッパ思想に基づく「天賦人権説」が
この国に根付かなかったことにあるのかもしれない.
いや,正確に言えばこの国は「国民」あるいは「大衆」を育てはしたものの,
「市民」を育てようとはしてこなかったことが真の原因のように思える.
すなわちこの国の主権者としての「自立性」「公共性」「能動性」を持った市民として,である.
(たとえば選挙の投票率の低さを思い出そう.)

よくテレビドラマなどでの「勉強シーン」として歴史の年代をゴロで暗記したり,
方程式を解いたり,英単語をつらつら書き連ねたり,といったことをやるのだが,
「勉強とはああいった作業のことだ」と多くの人々が信じているから成り立つシーンだ.
けれど例えば年代を覚えることが重要なんじゃない.
その時代に何が起こり,その結果人々はどう動いたのか,
そのことから現代の我々は何を学べるのか,それが重要なのであって,
年代はあくまで歴史の順序を把握するための物差しに過ぎない.
年代をすらすら答えられると,さも優秀な人間のように描写されるが,
鎌倉幕府ができたことは日本の歴史上どんな意義があったのか説明でき,
あるいは今日の我々にどんな影響を与えたのか解釈できるほうがはるかに優秀だ.
(因みに昔は1192(イイクニツクロウ)だった年号がこの頃は1185(イイハコツクロウ)に変わったそうだ.
 ほらね,だから年号は物差しに過ぎないんだって.)

つまり戦後世代を受験戦争に駆り立て,「○ or ×」の競争に明け暮れているうちに,
すっかり「自立性」や「能動性」を失った大衆ができあがる,という仕組みなわけだ.
今や(政治家も含めて)社会全体が「学校化」している.
かつては与党内野党があって政治的緊張感の中,
上手く党内のバランスを取りながら行われていた自民党の政治だったが,
今やトップの意向一色となり,やはり「学校化」しているように思う.
そうして振り返ってみると,果たして国に「市民」を育てる気があったのだろうか,と疑ってしまう.
ともすると「市民」が育たぬように組織的に仕組まれてきたのでは,などとも.

日本会議の人たちはほくそ笑んでいるのかもしれない.
「戦後70年間,アメリカの言うとおり自由にしてやったじゃない.
 でも結果,国民がルールを守らず権利ばかり主張するロクでもない国になったでしょ.
 やっぱりこの国にはこの国のやり方があるの.
 天皇陛下を頂点に戴く,お国の為に皆が働く美しい国に戻りましょう.」


敗戦と同時に掌を返すようにアメリカナイズしていったこの国で(ほら右向け右でしょ),
虎視眈々と復活の時期を窺ってきた巨大な政治思想団体「日本会議」.
例えば私的に参拝すればよいものをわざわざ閣僚として参拝を続ける靖国問題.
何故この国最大の不幸を招いたA級戦犯が合祀された場所へ出向くのか.
国策によって亡くなった人々を弔うだけなのなら,何故,分祀しないのか.
この政治思想団体「日本会議」に,
今なお安倍首相をはじめとする現閣僚の3/4が属していることを考えれば,
これ以上何の説明もいらないだろう.
安倍首相の顔写真ともに「日本を取り戻す」と書かれた自民党ポスターがあった.
けれど彼らの云う「日本」とは「日本会議」が思い描く「日本」だ.
そしてそれは太古の日本ではなく,明治以降の「大日本帝国」である.
個人の基本的人権より国家の存在が優先されたあの国なのだ.

草案の第98条には「緊急事態条項」が新設される.
「緊急事態条項」が現憲法に無いから,災害時の初動が上手くいかない,
といった真しやかな議論が主に日本会議の人びとによってなされ,
うっかり「そりゃそうだ」と納得する国民も少なくないと思う.
同様な論調と新しい世代の誤解による同調は
「安保法案」や「憲法九条」にまつわる議論でも行われている.
だからこのタイミングで首都直下や南海トラフなどの未曾有の大災害が起こったなら,
国民が冷静な判断のできないどさくさに紛れて,
「新・大日本帝国憲法」が成立してしまうのではないかと不安に思う.
そう,確かに市民は育たなかった,その結末として.
webronza.asahi.com


最後に,日本会議トップによる「天皇陛下万歳」をお聞きいただこう.
皆は何を思うだろうか?

日本会議名誉会長・元最高裁判所長官・三好達による「天皇陛下万歳」(2016年2月11日)
www.nipponkaigi.org

「美しい国」という国家像を打ち出す安倍内閣.
でもその背後には大日本帝国へのノスタルジーに浸る政治思想団体がある.

一つ言えるのは「何を美しいと思うか,の自由」が保証されない国は
美しくない,ということだ.
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SONY ILCE-6000+Vario-Tessar T* E16-70mm F4 ZA OSS,
Lightroomにて現像

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

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