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四度堆積からの誘い(3)

本タイトルエントリーもこれで3つ目となる.
前回は確か Tristan chord が四度堆積和音の半音変形なんだってことを見つけた話だった.
tokidoki.hatenablog.jp
最近 Blackadder chord*1 なるものを某学生が教えてくれた.
これは音楽研究家Joshua Taipale氏によって近年名付けられたコードで,知らぬ間にJ-popに多用されていたものらしい.
www.youtube.com

Tristan はコードの進行力が弱いおかげで独特な浮遊感があってかつ単独で使える独立感のあるコードだと思っている.
これに対し Blackadder は強いベクトルを持ったコードで,然るべきところで使うととても明るい,爽快感のある進行をもたらすが,単独で使うとかなり違和感のあるコードだ.
こうしたかなり性質の違うコードなのだけど,この2つ,実は半音変形で移り合っている.

f:id:okiraku894:20190715140210p:plain
例えば上の譜例では,Blackadderが Gaug/Db であり,Tristanは Em on G/Db と,top noteが半音違うだけだ.
けれど,その違いだけで進行の行き先が大きく違ってくる.
ちょっと聴き比べてみてくだされ↓

前半はBlackadder,後半はTristanをそれぞれ挟んで自然に進みそうなコードを続けてみたが,こうしてみるとBlackadderはtop noteの半音進行が強力な牽引力となっているようで,というよりtop noteを半音進行させたらできてしまったコードのように思えなくもない.
けれどそもそもrootは半音下方進行で,なぜこれで成り立つのかよくわからない.
あるいはこのrootの半音下方進行は裏コードの発想から来ているのかとも考えたが,上に乗っかってるコードが裏コードとBlackadderではえらく違う.
でもとにかくBlackadderはこれで成り立ってしまっている!しかも爽快に飛ばしてくれる!!

Blackadderは分数コードとして捉えると上が Aug なので緊張度が高い.
このあたりの仕組みは最初のエントリーで触れた.
tokidoki.hatenablog.jp
同様なことは dim でも言えるのだけど,これらchromatic 12音を等分割するコードは一般に多数の文脈での解釈が可能だ.
dim や Aug はコード同士の乗り換え・乗り継ぎのためのハブのような役割をする.
更にその Aug のルートに対してこれまた12音を等分割する IV# の音を添える.
だから自ずと Blackadderは多義的解釈ができてしまう,したがって代理和音として様々に使われうるのだろうと想像はするものの,どれだけの可能性があるのかまだ検討していない.

何にしても,四度堆積を意識しながらコードを掴むと,以前の自分にはできなかった微妙なニュアンスの音作りが出来るようになって楽しい.
そんなことを感じながら毎朝ピアノでちょっとずつコードを付けてみたKIMIGAYO2019.
そもそもはDorian modeのコード進行ってどうやるん?というところから始まって,君が代は西洋音楽の枠組みでみるとD-Dorianかなぁ,じゃぁちょっとコードつけてみようか,となった結果である.

隠蔽,捏造,虚偽,忖度,そして分断ーもはや目も当てられないほどに劣化した政治だとか,ただでさえ同調圧力の強い民族性の中,失敗したら落ちていく他ない不安と隣り合わせに生きる国民が抱える大きな閉塞感に覆われた,この国らしいアレンジにしてみた(というあと付け解釈).

*1:某Youtuberによって「イキスギコード」なるいかがわしいネーミングが流行ってしまったのだが.

連分数likeなエジプト分数分解

大学院向け某夜間授業で出された話題で,\dfrac{1}{n}をエジプト分数に分解するアルゴリズムの紹介がされた.
すぐに互いに素なm,nに対する\dfrac{m}{n}では如何?となるわけだが,連分数likeな展開方法を幾何学的意味と共に考えたので備忘録.
そういえば,連分数展開の力学系的意味を2年近く前のエントリーで書いていたっけ.
tokidoki.hatenablog.jp

互いに素な自然数a>bについて\dfrac{b}{a}を分子が1の単位分数の和に分解するときに,Greedy Algorithmを使う.
つまり,\dfrac{b}{a}を超えない,できるだけ分母の小さな単位分数\dfrac{1}{n}を探すと,それは
\begin{equation}
\frac{1}{n}<\frac{b}{a}<\frac{1}{n-1}
\end{equation}となるものだから, b(n-1) < a < bn である.すると  bn-a < b であり,また,
\begin{equation}
\frac{b}{a}-\frac{1}{n}=\frac{bn-a}{an} < \frac{b}{an}
\end{equation}と分子がもとより小さくなった分数 \dfrac{b_1}{a_1}=\dfrac{bn-a}{an} が得られる.以下同様な操作を続けると
\begin{equation}
n_{k+1}=\left\lceil\frac{a_k}{b_k}\right\rceil,\quad a_{k+1}=a_kn_{k+1},\quad b_{k+1}=b_kn_{k+1}-a_k,
\end{equation}あるいは,連分数エントリーの真似をすると
\begin{equation}
n_{k+1}=\left\lceil\frac{a_k}{b_k}\right\rceil,\quad \begin{pmatrix} a_{k+1} \\ b_{k+1} \end{pmatrix}=\begin{pmatrix}n_{k+1} & 0\\ -1 & n_{k+1}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}a_k\\ b_k\end{pmatrix}
\end{equation}といった表示ができる.そして  b_1 > b_2 > \cdots > b_k となっていくので,やがて  b_k=1 となり,このアルゴリズムは止まる.もちろん, a_k,b_k が互いに素である関係は変わらない.

単位分数  \dfrac{1}{n} を求めて差を取ることは,幾何学的には \dfrac{b}{a}=\tan\theta_0 から \dfrac{b_1}{a_1}=\dfrac{bn-a}{an}=\tan\theta_1 を求める作業であり,下図でいけば黄色の三角形の傾きから赤い三角形の傾きを求めていることになる.
f:id:okiraku894:20190528110013p:plain

もちろん,この手順は無理数に対しても行えるわけで,それが楽しいかどうか分からないが,たとえば
\[
\pi=3+\frac{1}{8}+\frac{1}{61}+\frac{1}{5020}+\cdots
\]
だとか
\[
\sqrt{2}=1+\frac{1}{3}+\frac{1}{13}+\frac{1}{253}+\cdots
\]
とか現れる.う~ん,いまのところ楽しくないなぁ...

残念な国(11)―「私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならない」

なんだかこの年末年始のような雰囲気は,改元に伴うものであるのだけど,
こうして雨模様が続くのは,陛下が水の専門家だからなのでしょうか.

多くの日本人が「新しい時代」を期待し,気持ちを新たにしている.
どこか昭和の後始末に終始した感のある時代に,
そして縮みゆく経済の中,再びこの国が閉塞感に覆われている昨今に,
あるいは区切りをつけたい,という深層にある願いも込められているのかもしれない.

前陛下の退位にあたって,ちらりとタイトルの言葉を久しぶりに最近メディアで耳にした.
そうだ,美智子様がその昔に発せられた,あの言葉,IBBYにおける基調講演からの一節だ.

そして最後にもう一つ,本への感謝をこめてつけ加えます.
読書は,人生の全てが,決して単純でないことを教えてくれました.
私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ.
人と人との関係においても.国と国との関係においても.

第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年)基調講演
「子供の本を通しての平和ー子供時代の読書の思い出ー」から

www.kunaicho.go.jp

「複雑さに耐えるということ」
いま風に言えば,ダイバーシティー,多様性を受け入れるということ.
価値観の違いを互いに乗り越え,存在を認め合うということ.
けれど多くの国々の舵取り役たちは,その複雑さに耐えられない,
あるいはあえて耐えることをせず,単純に割り切ることを進んで選んでいる.
tokidoki.hatenablog.jp

そしてご多分にもれず,この国も.
tokidoki.hatenablog.jp
「こんな人たちに皆さん,私たちは負けるわけにはいかない」と,
同じこの国に住む日本人をいとも簡単に切り捨ててしまえる政治家トップの単純さ,
目の眩むような複雑さを孕んだこの世界で,
「この道しかない」と断言できてしまう単純さは,
やはりこの先も大方の日本人に支持され続けるのでしょうか.
その結果,そうした単純化のしわ寄せを我々はこの先も甘受し続けねばならないのでしょうか.
我々は「しわよせ」ではなく「しあわせ」を望んでいるはずなのだけど.

この国を覆っている閉塞した空気.
かつてのような,あの皆が同じ方向を向くよう仕向けられる空気は,
「和」をモットーとする国民性に簡単に馴染んでしまう.

どうか,この世界の複雑さを都合よく覆い隠してしまいませんよう,
多様な存在が多様なままで居られる国でありますように.

橋をかける (文春文庫)

橋をかける (文春文庫)

数理音楽の風景(2)-12ヶ月はLydianを奏でる

「数理音楽の風景」と題したエントリーを書いたのが,もう2年前のことだ.
tokidoki.hatenablog.jp
ちょうどその頃,極大均等性のコンセプト下での調性音楽理解の可能性が見え始めたところで,この点でいくつか書き物をしてきた.

当初は準周期系の話題の延長線上での議論だったが,どういうわけか調性音楽の仕組みと極大均等性の相性が良く,いろいろと説明できてしまう.
あるいは典型的なカデンツである五度進行も説明できるものだろうか,などと思いながらボヤッと運転してたときに,「もしかして」と気づいた事実を動画にしたのが↓.

もちろん,12ヶ月の配置がこのようになっているのは歴史的な偶然だろうと思う一方で,31日ある7ヶ月分をできるだけ均等に12ヶ月に配置しようとした,という無意識/意識的な作用があったとしたら,やはり自動的にこの配置に,しかも一意的に決まる.

さてさて,何を言い出したのか.
今後,「数理音楽」エントリーに毎度現れるであろう極大均等性についてまずは書いておこう.
極大均等性(maximal evenness)とは,例えば白と黒の碁石を円形に並べたとき,白と黒の配置が「できるだけ均等になるように」並べた状態のことだ(いや,ちゃんとした定義は下でするけど).

例えば白と黒が同数ならこれは簡単で,白と黒を交互に並べれば良いだろうし,白が黒の2倍あるなら,黒を3つごとに並べれば均等になるだろう.
一般に白 w個,黒 b個あって,w=kb の倍数関係にあるなら,黒を k個ごとに置けば良いはずだ.
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では,倍数関係になかったらどうなるだろう.特に互いに素だったら.
よく高校生などに「白石7つと黒石5つをできるだけ均等になるように並べてごらん」というと,白黒を交互に並べて最後に黒の一つを白に変えるとか,黒を4つ配置した後どこか一箇所の白を黒に変える,といった回答をするがこれらはまだ均等に近くはない.
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実際,白は重さがなく黒が 1g の重りだったとして原点中心の半径1の円に上図のように並べたなら,それらの重心は計算すると(ただし,平均は12ではなく5で割ったがそれは本質ではない)それぞれ

\begin{align*}
\frac{1}{5}\sum_{k\in\{1,3,5,7,11\}}(\cos\frac{\pi k}{12},\sin\frac{\pi k}{12})&=(0,\frac{1}{5})\\
\frac{1}{5}\sum_{k\in\{0,3,6,8,9\}}(\cos\frac{\pi k}{12},\sin\frac{\pi k}{12})&=(-\frac{1}{10},-\frac{\sqrt{3}}{10})
\end{align*}
となり,どちらも重心は原点から距離\frac{1}{5}の位置にある.しかし下図のように黒石を一つ隣に移動してみよう.
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どちらも同じ配置になるので右の場合で重心を計算してみると,

\begin{equation*}
\frac{1}{5}\sum_{k\in\{0,3,6,8,10\}}(\cos\frac{\pi k}{12},\sin\frac{\pi k}{12})=(0,\frac{1-\sqrt{3}}{5})
\end{equation*}
となって,重心の原点からの距離は\frac{\sqrt{3}-1}{5}<\frac{1}{5} だからさっきより近くなる.
しかしこれよりもっと(そして実は最短となる)重心が原点に寄る配置が,まさにピアノ鍵盤における黒と白の配置だ.
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右図にした場合,

\begin{equation*}
\frac{1}{5}\sum_{k\in\{1,3,6,8,10\}}(\cos\frac{\pi k}{12},\sin\frac{\pi k}{12})=(-\frac{2-\sqrt{3}}{10},-\frac{2\sqrt{3}-3}{10})
\end{equation*}
となるから,重心の原点からの距離は\frac{2-\sqrt{3}}{5}<\frac{\sqrt{3}-1}{5},つまり更に先程より近くなった.

さて,ここまで先延ばしにしてきた極大均等性のきちんとした定義を述べておこう.


【極大均等性】
0と1からなる無限に続く記号列 {\bf w}=\cdots w_{-1}w_0w_1w_2\cdots について,\bf{w}から同じ長さの任意の2つの有限部分列 {\bf u}=w_kw_{k+1}\cdots w_{k+n},{\bf v}=w_lw_{l+1}\cdots w_{l+n} を取ってくると,必ず

{\bf u} に含まれる1の個数と {\bf v} に含まれる1の個数の差は高々1以下

となるとき,{\bf w} は極大均等であるという.
これは語の組合せ論でいうところの balanced wordの定義に他ならない.
因みに,数理音楽の分野ではこれを Myhillの性質と呼んでいる.
なお,この定義において取ってくる有限部分列の長さはいくらでも良く,また{\bf u} と {\bf v}の一部が被っていようと構わない.

では実際にピアノ鍵盤の場合に当てはまるか見てみよう.
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この場合,白=0,黒=1として考える無限列は周期が12の列

\begin{equation*}
{\bf w}=\cdots \underline{010100101010}010100101010010100101010\cdots
\end{equation*}
となる.

  • 長さ1の部分列のとき:要するに1文字なので0か1しかなく,だから含まれる1の個数の差は高々1.
  • 長さ2の部分列のとき:現れる組み合わせは00,01,10のみで,だからどの2つを取っても含まれる1の個数の差は高々1.
  • 長さ3の部分列のとき:現れる組み合わせは001,010,100,101のみで,だからどの2つを取っても含まれる1の個数の差は高々1.
  • 長さ4の部分列のとき:現れる組み合わせは0010,0100,0101,1010,1001のみで,だからどの2つを取っても含まれる1の個数の差は高々1.

以下,長さをいくら変えても含まれる1の個数の違いは高々1となることが観察できる.
特に長さを12の倍数に取ると,常に含まれる1の数は等しい.
こんなふうに,どんな長さで比較しようと1の現れ方のブレが高々1なので,とても均等に近い状態で1が並んでいるということになる.

つまり,12ヶ月に31日のある月7ヶ月分をできるだけ均等に並べたい,とか,12音に黒鍵5つをできるだけ均等に並べたい,と思うと,自動的にこの極大均等な配置になってしまうということだ.
さて,このままだと単なる偶然だったりオカルト的だったりするわけだが,少なくとも音階の成り立ちについては,連分数展開に関わるきちんとした数学的裏付けができる.
が,その話は,またの回にて.

Music Theory and Mathematics: Chords, Collections, and Transformations (Eastman Studies in Music)

Music Theory and Mathematics: Chords, Collections, and Transformations (Eastman Studies in Music)

AIは電気羊の夢を見るか

今週,ゼミ生6名の卒論の提出がとりあえず完結した(とりあえず).
決まったタイトル一覧.

  • 「ボーッと跳んでんじゃねーよ!ー跳躍軌道と踏切動作の力学モデルー」
  • 「フェロモンは裏切らないー蟻コロニーモデルを用いた巡回セールスマン問題の解法ー」
  • 「オオハシくんには騙されないー簡易ダウトゲームの必勝戦略ー」
  • 「AIは電気羊の夢を見るか―誤差逆伝搬学習法とニューラルネットワーク―」
  • 「数のダークマター,超越数ー無理数度,リュービル数,そしてリンデマンー」
  • 「勝利の女神はあなたにハニカム?ーHEXの必勝戦略と不動点定理ー」

で,AIをネタにした卒論がこのエントリーのタイトル.
ピンとくる人はピンとくる,あの名作「ブレードランナー」の原作タイトルのパロディーだ.
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

この映画が公開された当時の80年台,確かに第2次AIブームがあった.
当然自分も惹かれた分野だったのだけど,蓋を開けてみれば,その当時のAIはひたすら人間が場合分けを尽くしてそれをプログラムするといった,子供ながらに実に不毛だと思われる作業の繰り返しだった.
主にLISPで書かれたそれらプログラムは,「未来はそっちじゃない」と,そう確信できてしまうものばかりだった.

かつて子供の私は,人工知能というもう一つの知性の誕生に有る種の希望を見出していた.
人類とは違う知性,感情から完全に独立した知性というモノへの憧憬があった.
あの当時の研究ノートには確かに記されている.
「人工知能,いや人工知性が実現した暁には,君たちからみて人類はどう見えるのか尋ねてみたい.」と.

今や,人工知能のシミュレーションを個人がフリーで行える時代だ.
Sonyが提供するNeural Network Consoleはそのいい例だ.
dl.sony.com
今回の卒論も,この環境をフルに活用したものだ.

ところで,このエントリーを書こうと思ったのは,Googleが提供する,というか,実は参加することで人工知能への学習データを提供するという企てを知ったからだった.
quickdraw.withgoogle.com
これ,面白いよ.
もう,そうとう学習が進んでいるらしく,かなり怪しい絵でも分かってくれるようになっている.
マウスで描くとかなりメチャクチャなんだけど,分かってくれる.
で,「川」が出題されたのだけど,これが意外と難しくて判定してもらえなかった.
こうして,世界中の人がゲームとして参加しているうちに,GoogleAIは賢くなっていくって塩梅だ.
うまいよな,人間をゲームに誘って学習データを集めるっていう設計が.