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消え逝く日本人

最近衝撃を受けたこと。
天皇って必要なの?」という学生の発言。



被災地を慰問された天皇、皇后両陛下に
被災した若者が写メを要求、その様子がテレビで放映され、
「さすがにまずいのでは?」という反応をした学生の
しかし素朴な疑問だった。



写メ要求も衝撃的だが、そもそも天皇は必要なのか、と
ごく普通の学生が感じていること自体、隔世の感を禁じ得ない。



仮定と結論がそっくり入れ替わったまま議論を進めている卒論や
「命題1.f(x)を最大にするxを求める」と学生が書いてきたことなんか
取るに足らないことのようにすら思えた。
「そうか...やはり、やはり、もう日本人は居なくなりつつあるのか。」



10年くらい前だったか、同じようなことを感じた瞬間があった。
富士山への産業廃棄物の不法投棄がニュースになった頃だ。
不法投棄は有り得ても、富士山でそれをやるのは一線越えてないか?
日本の心に平気でゴミを捨てられるようになってしまったのか。
ああ、もう日本人はこの国から居なくなった...と。



国は人でできている。
しかし戦後の日本国家は決して日本人を育ててはこなかった。
戦争の過ちから十分に学ぶどころか、
戦前までのあらゆる歴史をひとまとまりにして切り捨て蓋をしてしまった。
そうしてあの当時から今まで脈々と、
日本の根っこから一般大衆を切り離す、
国を挙げての活動が行われてきたように思えてならない。
そうした戦後教育がボディーブローのように今効いている。
片言の日本語(だけ)が使える、
心の構造は無国籍な人間の集まりにこの国はなっていくのかもしれない。
だからそんな彼らにとって「日本の心を受け継ぐ一族」の存在に
心底何の意義も見出せないことも、ごく自然なことに思える。



しかし、不思議だな。
例えばワールドカップで熱狂的に日本の国旗を振る若者は、
どこに日本を見出しているのだろう?
もちろん国家への忠誠心ではなかろうし、
しかし日本への愛郷心でもないように感じる。



今回の震災でさまざまな形でボランティアに参加する若者は、
日本の一大事だから、というより
隣人が、いや自分の家族の事のように思って助けなくては、
といった純粋な思いからだろう。
国家とは無関係なこの心の動きは、むしろ、より人の根源的なところに因ったものだ。
「がんばろう日本」とは言っているけど、どうも「国として一丸となって」ではない。
むしろ「一人の人間として淡々と」動いているのではないだろうか。
今回の大災害後、人々が極めて高い秩序を維持していたことが世界中で話題になった。
「困ったときはお互い様」の自己犠牲と助け合いの精神が発揮された。
強烈な国民性は持っていないけども、これこそが私たちが持つ宝なんだろう。
「和をもって貴しと為す」
なんだ、聖徳太子の時代からずっとみんな日本人であり続けているじゃないか。
その意味で日本人の心は戦後半世紀の無国籍化教育程度では消え去りはしないようだ。
あるいは日本人というのは国家という概念にはそぐわない民族なのかもしれない。



あぁ、でもね。
日本的情緒はやっぱり失わないで欲しいな、若者よ。