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となりの人びと(現代美術 in 春日井)

いよいよ今年,3年ごとにやってくる「あいちトリエンナーレ」の年.
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その前哨戦となるイベントが
ちょこちょこ行われているが,
丁度春日井で小規模の展覧会が
行われているので行ってみた.

何しろ現代アート物は
写真撮影OKなものが多く,
そういった被写体探しという意味でも
楽しみだったりする.


aichi-art.com

あいにくパンフレットに全ての作品が載っていないため,
後から写真を見返してもどなたの作品だったか分からない物もあるが,とりあえず報告.

会場に入るとまずは「空気」の作品.
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竹田尚史 ― 空気になる私

同氏の作品はまた展示室内にもあった.
古い時代の自然科学全体を研究しているといった体裁の部屋が作られていて,
その研究の辿り着いた先が「空気」作品として結実した,ということだろうか.
何か宮沢賢治を彷彿とさせる.
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渡邊千夏 ― BIG MIRROR BOOK II
写真では分かり辛いが,実際に前で見ると元の描かれた虹と反射した虹とが
空間的に絡み合っているように見えて,面白い錯覚を引き起こす.
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今井俊介氏の作品.タイトルは憶えていない.
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ゴメンナサイ,作者も憶えてないのだけど,真っ白に塗られた哲学的な作品.
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田中翔貴 ― Portrait of zinc
時間と記憶に関わる作品.写真と絵画の間.良い味が出ていた.大きな作品.
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杉浦光 ― All Blue-expansion- II
作品は3つあったが,一番綺麗に思えたものを撮影.
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設楽陸氏の一群の作品.ゲーム的世界観の芸術的昇華,ということだろうか.
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その他,作者を憶えてない作品.ホント,申し訳ない.
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そしてトリエンナーレの特徴である街中アートへ.
使われなくなった建物にアート作品を展示するというやつだ.
まず,丸十ビルへ.普通のビルなので,うっかりすると通り過ぎるし,
別のフロアーでは通常の業務を行っているような状況で,
本当にアート作品があるのか,間違った所に来てしまったのでは,
と,やや怯えながら階段を上がった.
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大崎のぶゆき氏のインスタレーション.
真っ黒な部屋に街角落書きの寄せ集めのような模様が
真っ白なペンキで次第に変化していく映像が流れる.
そして無音.おそらく暖房設備が出す環境音だけがその部屋に響く.
そう,こういった静かな時間が流れる作品が好きだ.
そして何よりインスタレーションは空間そのものを異化してくれるから,
その間だけ小さな旅ができる.その感覚がとても心地良い.
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その隣の本屋でも展示があるそうなんだが,何と日曜定休なんだそうで,残念.
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で,何より驚いたのが最後の場所,「蔵」.
こんな建物がまだ春日井市のど真ん中にあるなんて知らなかった.
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で,作品本体はこの扉の下に空いた穴から聞こえる,音のインスタレーションだ.
村田仁 ― カエルの国会,人の町
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その扉の傍らに,またその存在だけでアートになってる古びた金庫が置いてあった.
これも作品の一部,なのだろうか.
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以上,報告終わり.帰り道,アートモードになった頭で歩いていると,
自然にできたアートが目に留まったので撮影.
標識なんかを立てるための穴だっただろう所が土で埋まり,
そこに植物が生えていた.
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いずれもILCE-6000+Sony E 35mm f1.8, Lightroomにて現像

う~ん,8月11日開始のあいちトリエンナーレ,楽しみだ!
新年度から2年間のおも~い仕事が降ってくるのだけど,これだけは譲れない.
あいちトリエンナーレ2016

「することができる(be able to)」病

卒論発表会の為の練習会,お疲れ様です(というローカルな話題).
で,その練習会で今年もやはりな現象.

数年前に気付き始めたら,あらゆる所で気になって仕方ないこと.
日本全国老若男女の「することができる」病.
この形式ばった言い回しは英語でいうところのbe able toだろうか.
特に「可能」が重なって使われる場面で,この「することができる」を連チャンで言われると,
「日本に来て何年目ですか?」と言いたくもなる.
標準語を喋っているであろうNHKアナウンサーですら「することができる」の山だ.
例えばこんな感じ.

「この装置にはカメラを搭載することができますので,
位置を確認することができ,安全に操作することができます.」

日本語が少し分かる外国人にも通用しやすいように
意図的にこういった言い回しを使用する方針にしたのかもしれない,
などと一時期勘ぐってあれこれネットで調べてみたものの,
それらしいソースは現れない.
子どもの頃の報道はそんな喋り方じゃなかったよな,
もっと滑らかな日本語をアナウンサーは喋っていたよな,
そうだったよね?と両親に訴えても「さぁ?」といった反応.
あれあれ.
自分より古い人たち,違和感持ってないってこと?
確かにテレビでインタビューされている市井のご老人も「することができる」を多用している.
ネットで誰か彼かは騒いでるだろうと折に触れ検索するものの,見当たらない*1
そしてまわりの誰もオカシイと言わない.
えっと...自分だけ?

こうなってくると自分の方がオカシイのかもしれないと自信が無くなってくる.
いや,もしかすると「1Q84」のように,
いつの間にか並行世界に入り込んでしまったのかもしれない.
実は満月の陰にうっすらと苔むしたのもう一つの月があるんじゃないか,
と本当に探してしまった.

1Q84 1-3巻セット

1Q84 1-3巻セット

ちょっと振り返ってみると,まだ昭和だったころ「日本語の乱れ」というお題目で
「ら抜き言葉」が取り沙汰された時代があった.
「見れる」「食べれる」変だろう?いや,変じゃない.
そういった古い世代と若い世代の小さな対立もあって,
そして「れる・られる」が可能のほかに受け身,尊敬,自発もあるためややこしく,
その上そんな風に叩かれるのなら可能の意味では「れる・られる」は使わず,
「することができる」にしてしまえ,となったのかもしれない.
確かに何でもかんでも「することができる」で可能が表せる,おっと,表される.
そして日本語に不慣れな人たち(日本人を含め)に通じやすい表現となったのかもしれない.

学生にチラッと聞いてみたら,
「することができる」の方が丁寧に感じる,とのこと.
なるほど,普段使いでない格式ばった言い方だから距離があって,
だから「丁寧」と感じるのだろうか.

でもなぁ.
「理解することができないので話すことができません.」
とか言われると,この日本人,やはり日本に来て日が浅いんだろうなぁ,と思ってしまう.
「理解できませんので話せません.」
じゃだめなんだろうか.

そういえば子どもの頃,強烈に違和感を覚えたナレーションがテレビアニメにあった.
次回予告の最後にいつもこのフレーズが流れ,次週への期待感を煽る.
明らかに意図して強調されたゴツゴツした言い回しにしたのだろう,と子供心に感じたものだ.
それがこれ↓

「君は、
生き延びる事が出来るか」

機動戦士ガンダム I [DVD]

機動戦士ガンダム I [DVD]

ああ,果たして僕は,この先こんな国で生き延びる事が出来るだろうか
いや,本当に何らかの並行世界に紛れ込んでいて,それに気付いてしまったのだとしたら,
僕は闇の組織にこの文章公開後に消されているかもうわぁおまいら,何をすくぁwせdrftgyふじこlp

*1:同様な違和感を訴える人がかろうじて居ました.こちらでは,中学英語の直訳の習慣が残ったのだろう,と分析しています.しかしそんなことがNHKにまで影響するだろうか. torokko.sblo.jp

徒然にて候

今年は全くネタとして成立していない卒論が二つ,
バカバカしいと思いつつも形のあるものにすべく呑気な学生を横目に勝手に格闘している日々.
全くもって孤独な闘いである上に,そもそも引き受けなくても良い苦労である.
この頃,本当によく眠れない.今日も5時に目が覚めてしまった.
それでも寝ぼけ眼の中,小さいながらも書けそうな結果を出す.
それが二つのうちの一つ.しかしもう一方は本日のゼミ,当人不在.
いわゆる世間並みの「特別な日」だからだそうだ.
全くもってバカバカしい.バカバカしさの極みだ.
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それでも今年度10代目ゼミ生の指導では,
過去10年の指導を改めて見つめなおす契機となることが多かった.
相手が全く意図通りにならないとき,そもそも意図そのものが理解されないとき,
こちら側はどう力を抜くか,そしてどの程度待つのか.
初めは絶望的に稚拙に見えても,よくよく相手を観察すること.
そしてとにかく出来そうなところをきっかけにしてもらうこと.
エンジンのかけ方,スイッチの入れ方は学生ぞれぞれ皆違うこと.
一旦エンジンがかかると,ときには凄いことが出来てしまうこと.
そして結局のところ,学生一人一人の力を信じてみること.

ま,楽観視なんてとてもできない.年明け,バタバタなんだろうな.

さてさて,そろそろ年の瀬.
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半年もするといろいろ書き込まれている
研究室入り口のホワイトボード.
そろそろクリアーしますか,一度.


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そして,鏡餅風チロル.
このごろはまたこうしてお菓子持参で現れる学生がいてくれて色々有り難い.


そんでもって仕事の帰り際,ふと見上げたら満月がArtisticだったから撮った.
なんでも38年ぶりだそうだ,X'masの満月.
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いずれもILCE-6000+Sony E 35mm f1.8, Lightroomにて現像

Beethoven on Doodle!

何でも生誕245年だそうで,L.v.Beethoven.
年末も近づいてきたことだし,日本人特有の現象だけど
第九聴きたくなってきた.
ピアノ・ソナタ悲愴,第一楽章のテーマって不思議なんだよな.
悲愴と言いながらメジャーで攻めるんだよ.
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そういう話ではなくて,本日のGoogleロゴ,面白かったのでリンクを.
記念日にロゴで遊べるようになってるのだけど,
踏んだり蹴ったりのBeethovenがカワイイ.是非,トライしてみて.
(あ,但しChromeでないと動かないみたいだ.因みに↓は,ただの画像.)
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アクセスはコチラ↓
www.google.com

あと,こういうロゴはDoodleと言うらしく,
過去の全ての動くロゴがアーカイブされていることを今知った.
www.google.com

残念な国(6)―縮む社会

六百兆でなくて,八百兆と言えばいいのに.
と,かつて多くの皆がつっこんだことだろうけど,
あまりに庶民の世相感覚から外れすぎていて吹き出さずにはいられなかった.
thepage.jp
まぁ,そうは言っても何らかの基準見直しで見かけ上達成できる
数値目標なのかもしれない.(だから八百長なのだが.)

そういえば小学生だった頃,小学生ながらに不思議に思っていたことがある.
「今年は経済が何%成長した」と報道し,伸び続けることを人々は喜んでいたのだけど,
そもそも物事は有限なのだから,そんなん,ずっと伸び続けられるわけないのに,
なぜ大人はそれが分からないのだろうか,伸びなくなったときどうするのか,と.
そして実際,確かに伸ばせなくなった現代に至る.

しかし,一億総活躍社会にせよ希望出世率1.8とか介護離職ゼロとか
どれ一つ取っても本気でやるなら数十年スパンで取りかかるべきもの,
政権とは独立な仕組みの上で哲学を持って進められないものだろうかね.
gendai.ismedia.jp

そして自虐的な国民性も手伝っているのか,あらためて「うわぁ」となるデータが.
www.newsweekjapan.jp

「てやんでえ、こちとら江戸っ子だい!宵越しの銭は持たねえや」と
やせ我慢が言えた時代がかつてこの国にあったらしいが,
(それは互いが互いを良くも悪くも関わりあっていた時代だったから)
今はもう人々はすっかり委縮して,一旦やらかして外れると
まず社会復帰できないと多くが信じている.だからこの結果は自然だろう.
徹底した個人主義とそれに伴う責任の外在化,新自由主義,自己責任論.
この国をこの国たらしめていた,地域コミュニティーがすっかり崩壊してしまった.
自分が子どもの頃にはまだ残っていた,寛容でしなやかだった社会は
すっかり失われてしまったんだと,つくづく感じる.
しかしそれも,パイが小さくなっていく現代,致し方ないのか.
www.newsweekjapan.jp

なんだか,今回は記事紹介の羅列.まとめようとも思ってないけど.

シロウト目に見ても時代錯誤なんだよな,政策の何もかもが.
そしてこれっぽっちも「人」を大切にしちゃぁいねぇ.
新自由主義,ここに極まれり,か.

国民なき経済成長 脱・アホノミクスのすすめ (角川新書)

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