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残念な国(7)―そして過去への扉も閉ざされたなら

まず初めに,講義「統計とコンピュータ」で本年度の3年生102人から得たあるデータを紹介しよう.
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これはひと月平均本を何冊読むか?に対する結果だ.
(Google formによる調査はこんなふうにその場でグラフにまでしてくれて便利だ.)
因みに中央値は0.1冊とも教えてくれた.つまり,ほとんどが「全く読まない」ということだ.

自分が属しているのは数学教育の講座で,だから自称「理系」の学生らが集まる学科である.
赴任した頃の十数年前でも,教育学部であるにもかかわらず「本を読まない」,
正確には「本が読めない」学生が少なからずいたことは知っていた.
そんな彼らが一体どんな顔をして子どもたちに読書を勧め,習慣化させるのか
当時から不思議でならなかったことを思い出した.
(そういえばその当時,「国語のできない文系」などといって学生を揶揄していたものだ.)
そして現在,改めて調査をしてみると予想はしていたものの,愕然とする結果となった.

今日は講座で行っている教員採用試験の為の面接練習会に面接官役として出たわけだが,
どうやら戦後の昭和の言葉すら通じなくなってきている事態にあることに改めて直面した次第.
本日通じなかったのは「困ったときはお互い様」そして「卆なく答える」.
いずれも良い意味なのか悪い意味なのか,といったニュアンスそのものが分からなかったらしい.
(そして実は前者の言い回しは最近30代の同僚にも使ったことを思い出し,
 ひょっとするとニュアンスを間違って取られているかもしれない,
 などと面接練習中に密かにゾッとしていた.いや,杞憂に過ぎないだろうが.)
もちろん,言葉は生き物であるし,時代と共に変わってしまう宿命にあることは承知しているつもりだ.
自分だって自分よりずっと上の年代からすればヘンテコな日本語を使っているのだろう.

例えば「全然」という副詞.
「全然大丈夫」なる表現は二度折れ曲がって間違いでもないともいえる.
かつてこの熟語が中国から輸入されたとき,それは「全く」の意味だったそうだ.確かに字義通り.
漱石の時代でも「君の意見に全然同意するよ」などと言っていた.
それが戦後教育の中で「全然」は否定語の前につけるが正しい,としてきたのだそうだ.
そしていつの時代も古いモノを壊して遊ぶのが若い世代の特性であって,
言葉もわざと前時代では間違ったとされる使い方を敢えてする.
「全然だめだ」という言い方に慣れた人々の中,
「全然いける」などと言ってその若干の違和感を楽しむ.
そうやって遊んでいるうちに「全然」が「とても」の意味に解釈され始め,
「全然楽しい」などと使うようになる.
こういった変遷は言葉遊びから来るもので,ライブ感があって楽しい.
しかし一方で,「~することができる」の多用には,
現代日本のひずみ,あるいは病いが垣間見える,というのが持論だ.
tokidoki.hatenablog.jp
(その他気になっている言葉は多数ある.
 政治家が使う「粛々と」「説明する」「しっかりと」,
 また一般人がしきりにつかう「させていただく」,「意識高い系」の自虐的使用,
 そしてすっかり浸透した「癒し」や「感動した」の安易な使用.
 いつかこの辺りのことも書きたいけれど,まだ醸造中だ.)

話が逸れた.「本が読めない」教育学部の学生のことだった.
この事態は世間が言う「若者が本を読まない」を問題と捉えることとは
少々質的に違うように感じる.というのもそこに「教育学部の」がつくからだ.
教育現場はやはり"生き物"であるし,
目まぐるしく変わる事態への俊敏な対応が常に迫られる.
けれど一方では,人類が(とまでは行かずとも先人が)歩いてきた道を
生き生きと伝える場でなくてはなるまい.
つまり教育現場は子どもの目を過去と未来,両方に拓かせるはずの場所だ.
教育現場における不易流行,あるいはもっとシンプルに温故知新だ.
(もちろん教育現場だけがその責務を負う,という訳ではないものの,
 地域共同体がすっかり壊れてしまった現代―だから「お互い様」が分からなかったのか―
 やはり最後の砦としての役割は大きい.)
その一方の扉であるはずの書物をやがて現場教員となる学生が「読めない」となると,
教員自身,先人の叡智を持たぬまま,まる裸で現代と闘うに等しく,
同時に眼前の子どもたちにも根っこの無い知識を切り売りして過ごすことになる.
こうして歴史を持たない子どもたちが拡大再生産されていくわけだ.
そしてこの事実は日本国民の,
真の意味での個人の確立と市民への成長を大いに妨げてきたのだと思う.
(この点については,「個人」の概念そのものを条文から消し去ろうとしている,
 "腹立たしい"自民党憲法草案へ話はつながるのだけど,これもまたいずれ.)

さて.ひたすら場の空気だけを読んでそれこそ「卆なく」その日暮らしをする世代.
昭和言葉(もう大和言葉まで遡ることもできない)ですら通じにくくなっているのは,
地域共同体が壊れたことと同時に,やはり少し前の本を読まないからだと単純に思う.
例えばではあるが,2chをはじめとするネットスラングの世界は,
始めた側にとってはフィネガンズ・ウェイクばりの言葉遊びだったのだろうけど,
多感な時期にずっとそういった「崩した/壊した」言葉に囲まれて育った世代が増えるとき,
しかもその文化の変遷は数年単位で起こる故,
彼らの智慧の基盤はとても脆弱なものとならざるを得ない.

時代とはいえ,それにしてもね.
「最終的に立ち戻る場所がYahoo!の知恵袋のみ」という教員には
やっぱり教わりたくないなぁ...

祖国とは国語(新潮文庫)

祖国とは国語(新潮文庫)

因みに↑の著者は数学者.
藤原先生のデビュー作「若き数学者のアメリカ」を読んだ,ネット社会未明の時代が懐かしい.
若き数学者のアメリカ (1977年)

若き数学者のアメリカ (1977年)

芸は身を滅ぼす?(5) ― Lights-out も作ってみた

はい,シリーズ5つ目.
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これは某若手代数の先生からの希望もあって作ってみた.
何でも教養向けの授業で取り扱うのだそうだ.
これはLights-out という数理パズル.頂点をクリックすると
その頂点自身とそれにつながっている頂点のon/offが同時に切り替わる.
そこで,例えば全部がoffの状態から全部がonの状態にできるか?
といったことを問題にするパズルだ.
数学的には頂点xおよびxにつながっている頂点の全てを Nx と書くことにすれば,
グラフの被覆 {Nx | x∈V} の部分被覆Γをうまくとれば,
各頂点 x∈V がΓで奇数回被覆されるものがとれるか?という問題に他ならない.

もちろん,使ってみた風の動画も撮ってみた.

で,flashが動くなら遊べます↓

うわぁ,もう今週から新年度ガイダンス始まるし,自由な時間もお終いか.

因みに過去のシリーズはこちら.
tokidoki.hatenablog.jp
tokidoki.hatenablog.jp
tokidoki.hatenablog.jp
tokidoki.hatenablog.jp

芸は身を滅ぼす?(4)

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早いもので,このシリーズ(シリーズなのか)も4つ目.
tokidoki.hatenablog.jp
tokidoki.hatenablog.jp
tokidoki.hatenablog.jp

今回は昨年オープンキャンパスで扱ったネタ
「3色カードの数理マジック」をScratch化した.
というより,Scratch自体に動画キャプチャー機能が付いていることに今日気付いたので,
嬉しくなって動画を撮ってみたかったという意味合いが強い.

作っておけば色々な場で使いまわせそうだし,
なにより初年次で早速やってみたいネタだ.
元は本年度卒業のある学生がmodに絡んだ不変量を考えているときに浮かんだらしい.
不変量とパスカルの三角形が自然に現れ,
さらに踏み込めばパスカル三角形に潜む自己相似性も出てくるという,
教材としてはなかなか優秀なネタなのだ.
もう,あちこちで使わせてもらうよ.

↓フラッシュが動く環境なら実際に実験できるよ↓

残念な国(5)―国は人を以て盛なり

OECDの国際教員指導環境調査結果についての記事がちらほら見られたので,
国立政策研究所へ見に行ってみた.www.nier.go.jp
そこにTALIS日本版報告書「2013年調査結果の要約」が置いてある.
あるいはグラフなどで見やすくまとめたOECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイント
のほうが良いかもしれない.
特に最終ページにデータを上げてこの国の現況に対する主張がされていた.

とくにあちこちの記事で取りざたされているのがOECD平均38.3時間/週にたいして,
この国では飛びぬけて53.9時間/週という点だ.
その業務配分,事務業務が重荷なんだろう,と思ってたら,
それよりも課外活動(部活)に時間を吸われている.
調査6項目中5項目がOECD平均を上回り相変わらずな勤勉さがうかがえる.
そして皮肉にも唯一時間の短かった項目が教員の本分たる「授業時間」だった.
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OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイントから.
こうなってくると,教科教育と課外活動を同一の教員が行うのは
そろそろ諦めたほうが良いのではなかろうか.
課外活動専門の職や何らかの受け皿が本当は必要なんだろうと,
口には出さねど皆思っているのでは?

ま,だけど夢物語なんだろうね,お財布省がこれなんだから.news.tbs.co.jp
3.7万人削減で0.2兆円ほどの「節約」なのかな.
それだったら,シロウト目に「特別会計」どっか削ったらええやん,
とか思って現況を覗いてみた.www.mof.go.jp
およそ200兆円の3/4が社会保障と国債の償還と利子なんだね.
そしてよく見るとここには文科省固有の部分がない.
(法人化前の国立大学だったときはここに特別会計枠があったらしいが.)
でもなぁ,人を育てるほか生き延びる術のない国のはずなのに,
短期的な教育予算の付け方では育たないよね.
大学への予算どうのこうののことを言ってるんじゃないんだ.
教育全体への予算の付け方,これは国家100年の計として
外的状況がどう変わっても頑として子どもたちを育てる予算だけは
安定して確保できる仕組みにしておけなかったものだろうか.
賢い家庭だって未来を見越して教育費の積み立てをどうにかしてするものだろうに.

さて先程の調査の続き.一方でまた,そりゃそうだろうな,という結果も.
なぜならこれまで多くの教員自身が「主体的学び」を経験してこなかったのだから.
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OECD国際教員指導環境調査(TALIS)のポイントから.
となると今すぐできることは,目の前の学生たち,やがて現場に出る学生たちに,
たとえ疑似的・錯覚であったとしても主体的に学んだという経験ができるよう
ささやかでも仕掛けを作ることだ,といつもの主張に戻るわけだ.

某国はその創設時より虎視眈々と覇権を目指して今日に至る.
数年ごとに顔を変えてきた,他国を出し抜くなんてことのできないこの国では,
権謀術数を張り巡らす国にとても対抗できる気がしない.
チェックメイトされる前に人を育てておかなくては.

山は樹を以て茂り,国は人を以て盛なり.
                吉田松陰

教員環境の国際比較 (OECD国際教員指導環境調査(TALIS) 2013年調査結果報告書)

教員環境の国際比較 (OECD国際教員指導環境調査(TALIS) 2013年調査結果報告書)

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

「主体的学び」につなげる評価と学習方法―カナダで実践されるICEモデル (主体的学びシリーズ―主体的学び研究所)

  • 作者: スー・F.ヤング,ロバート・J.ウィルソン,Sue Fostaty Young,Robert J. Wilson,土持ゲーリー法一,小野恵子
  • 出版社/メーカー: 東信堂
  • 発売日: 2013/05
  • メディア: 単行本
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人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

サイエンスとしての「教育論」

この頃読んで「へぇ~」ってなった本の紹介.
タイトルだけチラッと見ると「経済力による学力格差」の話かな,なんて思うけどそうじゃない.
「教育経済学」という,社会を計量的に分析してきた経済学の手法を教育の場に適用してみたら,
人々が教育上「良いと思っていること/悪いと思っていること」が案外根拠ないんだよ,
ともすると反対のことをしちゃってるよ,という結果が集まったって話.

「学力」の経済学

「学力」の経済学

教育経済学という発想自体,いかにもアメリカらしいプラグマティズムだけど,
教育評論家や現場教員の「いかにも正しそう」な議論や主張がどうであろうと,
大規模「実験」データが示す結果をバイアス無しに受け止め,科学的な帰結を導く様子は天晴だ.
(教育現場で「(教育)実験」なんてできるのかって思うけど,
 工夫次第で倫理的問題無しで可能なんだとさ.「自然実験」が良い例.)
帯にも載ってしまっているからここに載せても良いと思うけど,端的な結果が,

  • ご褒美で釣っても「よい」
  • ほめ育てはしては「いけない」
  • ゲームをしても暴力的には「ならない」

おやおや特に1番目の話,ここでしばしば(サブリミナルのように)紹介している
「人を伸ばす力」に反するんじゃないの?って思ったんだけどそうじゃなかった.
正確にはご褒美の設定方法次第なのだ,という実験結果であって矛盾しない.
そもそもデシの主張も大規模データから導かれた結果だったのだから.
むしろデシの主張通り,人の「やる気」というものが如何に繊細で損なわれやすいものか,
追加実験をしたような形だった.

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

冒頭の本を読み進めてみると教育における「経験論」は特殊事例から導かれたもの,
ということが往々にしてあると分かる.
「偉い人がそう言っているから」「他人の成功体験から言うと」だけで動くと,
どれほど子どもたちをミス・リーディングしてしまうかってことだ.
2001年アメリカで成立した「落ちこぼれ防止法」のなかには「科学的な根拠に基づく」
というフレーズが111回使われているそうだ(p.18).
で,その「科学的根拠」に階級が設定されていて,それが面白い.
ランクの高い順に並べると(p.164),

ランダム化比較実験>非ランダム化比較実験>分析疫学研究>症例報告>専門家の意見や考え.

つまりアメリカの教育政策において専門家の意見や考えは「科学的根拠」としては弱い,
と言っているわけだ.教育においてもモノを言うなら「実験データで示せ」ということだろう.
というより,一専門家のフィルターを通る前の「素の結果」を皆の前に提示して,
皆が同一の見方に行き着けるのであれば「科学的根拠としよう」ということなのだろう.

もちろん著者は日本人なので,日本における教育政策の「非科学性」を嘆いておられる.
たとえばつい先日公表された全国学力テストについて.
県別順位といったものも,その県の家庭の資源(家庭や地域の経済力,利便性等)が
学力に与えている影響を取り除いたうえで比較しないのなら,
単に子どもの家庭の資源の順位を表しているにすぎない可能性がある,と(p.120).

もしも順位を公表するなら,学校名だけでなく,その学区の生活保護率,
就学援助率,学習塾等事業者の数や売り上げなど,
家庭の資源を表す情報も紐づけて公表すべきです.
 中室牧子/「学力」の経済学 p.125 より

こんな話を知った後に「うちの県の順位が上がった/下がった」なんていう知事会見を見ると,
1%の視聴率変動に右往左往するテレビ局を見ているようで,何とも恥ずかしい限り.
せっかく税金を投じて行っている全国テスト,しかし「個人情報」云々で紐付けられず,
結果,科学的根拠として使い物にならないデータだけが出てくる政策に,
著者が隔靴掻痒の思いをされている様子がいたるところに見受けられた.

あれぇ,そういえばどこぞの大学の授業アンケートや教務データもそんな感じだっけ...(:P