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知的自立,ということ

世の中の人間の大半は,自分の頭でものを考えることなんてできない
―それが彼の発見した「貴重な事実」のひとつだった.
そしてものを考えない人間に限って他人の話を聞かない.
村上春樹1Q84」 book 3 p191 牛河のことば)

昨年度開催の愛知教育大学数学教育学会研究大会(いわゆるイプシロンの会)で
小学校の部のコメンテーターをした.
最近になってコメントを投稿するためあれこれ考え直す中,
ふと,しっくりくる言葉が浮かんだ―「知的自立」.
それは例えば「経済的自立」や「精神的自立」と並ぶ大事な概念に思える.
それは結局,はるか塾講師や非常勤時代から,
そして今もなおずっと学生たちに求めてきたことだった.
「○○に書いてあったから」とか「誰々が言ってたから」ではない,
学生一人一人の自分の内側にしっかりと根を張った「知」を私たちは育てるべきなのだ.
それがいよいよはっきり自覚されるようになってきた.
そしてこの先多数の子どもたちに関わる,やがて教員になるできるだけ多くの学生たちに,
この「知的自立」感覚を如何にして育てるかが,大問題なのだ.
でないと,生き残れないぞ,この国は.
そう思う,今日この頃.

...ところで,子どもの中には周りがそういうから「足し算」らしい,
程度で留まっていることが,実際にある.もしも式が出たら終わり,
という授業だったら,この子どもは少なくともその問題について
知的に自立できずに終わるだろう.
だがここで関谷先生は「なぜ足し算なのか」という重要な問いかけをする.
そして「ふえたから足し算なのだ」という答えを子どもから引き出す.
この瞬間,初めて周りが言うから,ではなく根拠を自己内部に持った知
子どもは獲得する.
これこそが,複雑で不確定な世の中を生きぬく力の礎となる「知的自立」である.


本研究は小学生の算数学習態度に潜んでいた問題に対する,
実に真摯なアプローチを提案していると思う.
ところが大学教員である我々自身も,まさに学生を目の前にして,
これと全く同等の悩みを抱えていることを付け加えたい.
つまり,高等教育機関においてなお「答えが合っていればお仕舞い!」
という学習習慣からいつまでも抜け出せない,
いわゆる「知的自立」ができずに卒業していく学生が実に多いのである.
そしてこの刷り込みは年齢が上がるほど訂正が難しい,と感じている.
だからこそできるだけ早い段階で「考えることの妙味」を経験する授業に
出会うことが重要になってくる.
本研究のような「知的自立」を促す授業をできるだけ多くの子どもたちが
できるだけ早い段階から幾度も経験できることを願って止まない.


     2011年愛知教育大学数学教育学会研究大会(小学の部)
     関谷先生の「算数的活動を通して自分なりの考えを持ち,
     友達と関わりあえる子どもの育成をめざして」で思うこと コメントより