遊び tokidoki 仕事

数学と音楽と教育と遊び

| おしごと - きょういく - がくせい - ゼミ - イベント | すうがく - おんがく - 数理音楽 - DTM - かがく - scratch
| Art - photo - おきにー - Tips - ものもう - あれこれ | About - Top

算数で起こった天下三分の計ーその後

「0は3の倍数か」で天下三分の計が起こったことを前回報告した.
tokidoki.hatenablog.jp

今回はその後ちょっと調べてみたら,あの結果は妥当なものなんだろうなぁ,という結論に至ったので追記.
そもそも算数の教科書ではどう書いてあるのだろうか,とちょいと調べてみた.
例えば啓林館ではこんなふうだった.
f:id:okiraku894:20181117150057p:plain
何と,そうだったのか!
そうであれば「どちらとも言えない」が4割だったのも頷ける.
教科書では「0は倍数に含めない『ことにする』」としているから,それを覚えていたなら3の倍数ではないと積極的に言うだろうし,しかし後の教育を受けた中での考え方を思い出せば0=0\times 3なのだから0はやはり3の倍数だとも言うだろう.
そしてどちらの立場も認めるなら「どちらでもない」ということになる(むしろ「どちらでもある」).
じゃぁ,偶数奇数はどうしているのか,と調べると例えば同じく啓林館ではこんな書きぶりだった.
f:id:okiraku894:20181117150053p:plain
おやおや,こちらでは確かに0が偶数となっている.
つまり,2で割った余りで自然数(小学校では整数と言っている)を分類するという立場だ.
さて,そうするとだ.ここまでをまとめるとこうなる.
「0は2で割り切れるから偶数と呼ぶけど,0は倍数とは呼ばないことにしたので0は2の倍数ではない.」

おや,まぁ!
何ということだろうと思い,学習指導要領解説を引っ張り出してみると,確かにそのようになっている.
f:id:okiraku894:20181117150048p:plain
「(このとき0は倍数に含めていない)」

昔の自分だったら,世間でよく騒がれているのに同調して「間違ったことを教えている!」と言って憤慨したことだろう.
けれども「どのように子どもたちが混乱するのか」という情報が蓄えられるに連れ,そう安易に物が言えるものでもないことが分かってきた.
数学的に間違っている,いや美しくはない定義であったとしても,こういった配慮は教育的には,あるいは子供の認知心理学的には妥当らしい,ということだ.
「倍数」というときの気持ちは何かの「整数倍」を意味している.しかも通常は「1以上の整数」となるのが自然な言葉遣いだろう.
もしかすると「1倍」ですら一拍おいて考える人もいるだろう.
つまりそういった風景においては「倍数」は元の数以上の大きさになるものということになる.
そんな風景の中で「0も倍数である」と叫ばれれば,子供の心に大きな混乱が起こるかもしれない.
まだ「何倍」という見方が定着する前の子供ならなおさらの事だろう.
「-2倍」とか「0.5倍」といった言い方が通り始めるのは,ピアジェ風に言えば形式操作期に入ってから,ということだ.
「整数倍」という言い方を「正の数倍」に,そして「実数倍」へと拡げていってやっと「0倍」も心象風景に入ってくる.
(もちろん小学校でも0は整数としているから,もっと早くに「0倍」も認知されるのかもしれないが.)
もっとも,そんな事言わずとも個数比較における「倍」の考え方を量に適用し始める,つまり「比」と捉え始めれば自然に拡張されていくだろう.
「2倍ほどじゃないけど元よりは大きい.一つと半分ぐらい大きい.」
そう言うとき,それは「1.5倍」という言い回しの始まりだろう.

,問題はここから.
学問的定義では正しいことを教育的配慮によって間違いとされたときにSNS上で話題となる.
それはしばしば安易な算数教育バッシングに発展する.
「バツにされる」というのは,やはり誰にとっても不快なものだろうし,それが理不尽に思える理由であったならなおさらだ.
こうした周期的に発生する不毛なゴタゴタに対して,2つのことを提案したい.

  1. 「教育的配慮」によって学問的定義と異なる「きまり」を指導要領解説に載せるのであれば,それがどのような発達心理学的な考慮をしたものであるのか,という理由を同時に明記してはどうだろうか.括弧書きで(このとき0は倍数に含めていない)などと逃げるのではなく,真正面からその理由を明記しよう,ということだ.そしてできればその「心理学的影響がある」ことを示す研究報告への参照があると良い.
  2. 一方で,バツを付ける側の教員には「それは小学校教育でのローカルルールですので」と開き直るのではなく,バツを付けるに至る発達心理学的根拠をきちんと把握し,必要に応じてそれが説明できるようであって欲しい.同時にもちろん,学問的定義ではどのようであるのか知っていなければならない.というのも,やはり同輩の先を行く子供はいるわけで,「0も倍数に含めたほうが美しい」と実際に思っているかもしれないからだ.2歳のときには負の数の概念も分かっていた,というポール・エルデシュのような人もいるからね.

まぁ,とすると今眼の前にいる学生たちに他ならぬ我々教員がこういった教育的配慮の根拠を常々語っていなければならないはずだけどね.数学者はしかし結構知らないんだなぁ,こういったこと(自分も含めて).

いずれにしても,「理屈では合っているのに理不尽にバツを付けられた」と子供が感じ続けているのならば,それは速やかに取り除かれねばならない感覚だ.
それを放っておけば一斉教育の被害者を一人増やすことになるから.

今回,図らずもとったアンケートから面白いことが浮かび上がってきたので,書き留めてみた.
けれどこの話に拘るその根源には有名な「掛け算の順序問題」がずっと心に引っかかっているからだった.(つづく...かもしれない)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)